手助けは相手にとって大切なのだろうか

   中2 あささわ(asasawa)  2026年7月1日

 私が海外に行ったときに、英語が喋れないままスーパーに行き、もう少しで「初めて一人でお買い物ができた」といえるところだった。しかし、店員さんの言っていることが分からず、あとちょっとのところでお会計を済ませることができなかった。だんだんと後ろで待っているお客さんが増えてしまい、ほかの人を待たせていることに焦っていたところ、店員さんが自身のスマホの翻訳を使ってくれて、無事に買い物を済ませることができた。手助けをしてもらってとても助かったが、初めての海外ショッピングで、英会話の機会を逃してしまったことに後悔している。

 手助けはよいという意見がある。なぜなら、相手との信頼関係が生まれるからだ。私は保育園の運動会をしたときに、雨の中で行っていたため地面の砂がとても滑りやすく多くの子が、滑って転んでいた。私も例外ではなく、競走をしたときにカーブで全員がこけて、見ていた子たちからも心配の声が上がっていた。もちろん、立ち上がって一生懸命走った子もいたが、私は膝をすりむいてレースをあきらめかけていた。そんな時に、一緒のレースを走っていた子が私に手を差し伸べてくれて、残りのレースを一緒に走った。あの日の思い出は一生忘れられないが、それと同時に大勢の前で転んだ恥ずかしい出来事も忘れられないのが、悲しい現実である。しかし、その日があったおかげで、助けてくれた子とより仲良くすることができて、保育園でずっと一緒に遊んでいた。このように、手助けをすることで、相手を信頼するきっかけが生まれて、相手との関係が深まる。

 手助けはよくない場合もあるという意見もある。なぜなら、一人で何もできなくなるからだ。私は小学生までずっと家事を親に任せていたので、実際中学生になって洗濯をしようとしたときも、どのボタンを押せばいいかわからくなって結局親に頼ってしまった。このことがあって、普段親に助けてもらっていたありがたさが分かったが、自分が一人では何もできない人間であることに焦りが出始めた。また、私が料理をしたときも、中学生から本格的に料理をし始めたので、料理をするたびにキッチンがぐちゃぐちゃで、料理時間もかかる上に、毎回を指を切ってばっかりだった。一方で、幼いころから料理が好きな私の兄は、いつも手際が良く、キッチンの使い方も上手だ。気が付けば、私は幼いころから親に手助けをしてもらいすぎて、一人で何もできない状態になっていた。このことから、手助けをしてもらうにしても、なるべく自分の身に危険が及ぶかもしれない時以外は、自力で何とかしようと心に決めた。

 確かに手助けには良い面も悪い面もある。しかし、一番大切なことは、「良い友人を得たければ、まず自分が良い友人でなければならない。」という名言があるように、常に相手の気持ちを考え、相手への優しさを忘れないことだ。自分がいい友人であるためには、相手の状況によって自分が助けるか見守るかを判断し、常に相手のことを思って行動する必要があると思うのだ。私はこれから、相手の状況に応じて手助けが必要がどうかを判断するときに、相手がこの先どうなっていてほしいかを想像して、相手のために行動する気持ちを大切にしていきたい。