きっとチャンスは与えられる

   中1 あきゆれ(akiyure)  2026年7月1日

 「終わったー!」

カリカリというシャープペンシルの音が止まった瞬間、教室のあちこちから、一斉に大きな歓声が上がった。窓から差し込む優しい太陽の光が、机の上に裏返して置かれた真っ白な解答用紙を静かに照らしている。外は快晴の空でまるでお疲れ様と言ってくれているかのよう。それまで教室に漂っていた、ピリピリとした重い空気は一瞬で消え去り、友達のホッとした笑顔が周りに広がっていく。テストが終わった瞬間にドッと押し寄せるこの最高の解放感は、何度味わっても本当に格別なものだ。しかし、スマホのニュースやSNSに目を向けると、最近は少し違う議論が盛り上がっている。ネットやニュースでは「順位をつけるような過度な競争は子供の個性を潰す」とか、「これからの多様性の時代に、ペーパーテストの一律の評価はもう古い」といった、テスト不要論やゆとり教育への賛成が社会問題としてよく取り上げられている。確かに、試験が近づくたびに睡魔と戦いながら必死に机に向かう時間は苦しいし、プレッシャーばかりで嫌になる気持ちもよく分かる。だが、本当にテストを無くせば全てが解決するのだろうか。私は、ハラハラドキドキしながらも最終的に大きな満足感を得られる「映画」のクライマックスを楽しむのと同じように、テストがあることは自分を成長させ、これからの社会を生き抜くために良いことであり、とても大切で必要なものだと考える。

 テストがあるべきだと考える理由は、第一に、テストという明確な目標があるからこそ、自分の今の実力をしっかりと知り、そこに向けて本気で努力できるからだ。日々の授業をただなんとなく受けているだけでは、自分がどこを理解していて、どこでつまずいているのかを正確に見極めるのは難しい。テストという「本番」があるからこそ、自分の弱点という課題がはっきりと目の前に現れてくれる。私には、以前の定期テストで地理の点数が非常に低かったという、悔しくてたまらない体験がある。私はテストの三週間前から地理の暗記を始めていたため、そのときは本当にショックで、自分の頭の悪さに目の前が真っ暗になった。しかし、返却された答案用紙をじっくりと見つめ直したとき、応用問題以前に、世界地図の国の名前など、普通に知っていなければならない「基礎の知識」のせいで解けなかった問題がたくさんあることに気づいた。難しい気候の判別ばかりに気を取られて、土台となる基本的な国名や位置という基礎がすっぽりと抜けていたからこそ、大きな点数を落としてしまっていたのだ。そこから基礎基本を一つずつ整理して勉強を重ねた結果、次のテストでは目標点を大きく超えることができた。この経験を通して、テストとは単に順位をつけて生徒を苦しめるものではなく、自分の足元にある課題を教えてくれる「地図」のようなものだと確否した。

勉強の途中、何度も「もう諦めてスマホを見て寝ちゃおうかな」という誘惑に負けそうになる。けれど、あの苦しい夜を乗り越えて基礎基本を必死に頭に叩き込んだ時間そのものが、自分の忍耐力や集中力を少しずつレベルアップさせてくれている。テストがなければ、私は高を括ってここまで必死に勉強しなかっただろうし、限界に挑む楽しさを知ることも難しかったはずだ。

 テストが必要である理由は、第二に、それが将来社会に出てから直面する色々な課題やプレッシャーを乗り越えるための、最高の練習になるからだ。大手教育研究所(ベネッセ)の学習調査データによると、「定期テストがあるおかげで、計画的に勉強する習慣が身についた」と答えた中高生の割合は実に約七十三パーセントにのぼるらしい。さらに、長文の読解問題や難しい応用問題を集中的に解くことで、集中力が続く時間が平均して二十分以上も伸びるという実験結果もあるそうだ。これらの調査結果が示す通り、テストは私たちの脳を鍛える筋トレのような役割を果たしている。もし学校からすべてのテストが完全に消え去ったら、私たちの頭脳は、長い休み期間中に家の中でずっとダラダラしているときのように、すっかりなまってしまうに違いない。試験前の適度なプレッシャーは、いわば勉強にメリハリをつけるための「良い刺激」のようなもので、それがない毎日は、何のイベントもない夏休みのように退屈で、ダラけたものになってしまうだろう。解答用紙という限られた制限時間の中で焦りつつも挑む経験は、将来、私たちが大人になってどんな道に進むとしても、必ず自分を支えてくれる一生使える武器になるはずだ。

 確かに、点数や順位だけで人間の価値がすべて決まるわけではない。現在の社会問題としても、過度な学歴社会のせいで不登校になってしまう人が増えたり、テストの点数だけで教育の格差が生まれてしまったりすることが問題視されている。数字だけに囚われて一喜一要することは、時に心を疲れさせてしまうし、世間が「テストなんて無くなればいい」と文句を言いたくなる気持ちもよく理解できる。しかし、問題の本質はテスト制度そのものが悪いのではない。結果を恐れて、自分を変えようとしない人間の姿勢にあるのではないだろうか。ドイツの哲学者ニーチェは、「脱皮できない蛇は滅びる。その意見を取り替えさせられない精神も同様だ」という有名な言葉を残している。古い皮を脱ぎ捨てる痛みを我慢しなければ、生き物も人間も成長することはできない。テスト勉強の中で悩み、間違え、自分の知識を新しくしていく大変な過程こそが、まさに私たちが人間として「新しく脱皮する瞬間」なのだ。だからこそ、私はテストという制度は素晴らしいものであり、自分を変えるために、大切なチャンスだと強く思う。これからの学校生活において、私はテストを「嫌な敵」として怖がるのではない。自分を次のレベルへと引き上げてくれる「味方」として前向きに捉えたい。次の試験の日も、きっと私はあの快晴の空の下で、優しく差し込む光の中で、一回り大きくなって新しく脱皮した、成長した自分に出会うために、全力で解答用紙に向き合うつもりだ。