経験と知識
中3 あえとみ(aetomi)
2026年7月1日
手助けというのは、私たちにとってごく身近な行為である。誰かが困っていれば、自分が助けようと率先して行動を起こす。また、自分では解決しきれないような問題が起こった場合は、自然と誰かに助けを求めようとする。このように、手助けをする・されるというのは人間の本能的な能力が備わっているものかもしれない。世の中には、「手助け」という場面が常に存在している。実際に、私自身体調が優れなく、委員の仕事ができなくなったときに、同じ委員の男子にお願いして仕事を負担してもらったことがある。反対に、友達が勉強で困っていた時は、解法を教えたこともある。このような経験は誰にでもあるだろう。手助けとは、単なる問題解決につながるだけでなく、相互の関係も良好に保つきっかけとなるのではないだろうか。
私は手助けをすることは良いと思う。なぜなら、互いの短所を補え合えるからだ。この例として最も象徴的といえるのは、ミラノ・コルティナオリンピックで日本史上初となるフィギアスケートペアで金メダルを獲得した、りくりゅうペアだろう。りくりゅうペアはそれまで日本で知名度の高くなかったペア競技を世に広めた、ペア競技の功労者ともいえる。それまでの二人は、北京オリンピックで高得点をマークし、団体戦銀メダル獲得の立役者となったり、世界選手権で二度も金メダルを獲得したりと、フィギアスケート界の一線で活躍してきた。さらに、五カ月前に開催されたミラノ五輪では優勝候補に挙がっていた。しかし、最初のショートプログラムで痛恨のミスが出てしまい、五位から金メダルを目指す状況に陥る。後に、木原選手は「これまで何年間も積み重ねて、必死に努力してきたことが、すべて一瞬で水の泡になってしまったような感覚だった。」と述べている。そんな苦境に立たされた二人であったが、木原選手のパートナーである三浦選手が「まだ試合は終わっていない。私はあなたのために滑るよ。」と木原選手に伝え、金メダルがかかる、フリープログラムに臨んだそうだ。二人のこれまでの地道な努力と支え合いの結果、世界歴代最高得点を記録し、見事な大逆転金メダルを手にした。アニメのような展開に思えるが、この二人が達成した金メダル獲得の一番の要因は、支え合いという名の「手助け」にあると考えられる。ミラノ五輪後のあるインタビューで、木原選手はこう語っている。「僕たちは、お互いに足りない部分を補い合っている。僕が技術的にカバーできるところはカバーするし、彼女の思い切りの良さや表現力に、僕はいつも引っ張ってもらっている。」このような二人の輝かしい功績の軌跡は、今まで手助けを通した信頼関係の上に成り立っているのだろう。
しかし、良いことだと認識しがちな手助けも、裏目に出てしまうことがある。過度な手助けをしてしまうと、良くないと言われているのが幼児教育だ。なぜなら、それらを行うと、幼児の自己肯定感や主体性を削いでしまうおそれがあるからである。幼児期とは一歳前後から小学校入学までの期間を指すが、この時期は幼児にとって人格の基盤を形成する大切な時期となる。ここで重要なのは、幼児の自ら行動しようとする意欲を引き出し、他者との関わりをもって社会性を身に付けることだ。また、それらを身に付ける過程で、どのような手助けをするかが核心となる。しかし、幼児教育で手助けが裏目に出るとはいっても、一切サポートせず幼児の成長を促すのは無理である。良い手助けの例とすると、衣服のボタンを留める際、すべてのボタンを留めるのではなく一つのボタンを留めて手本を見せる、といったやり方だろう。すべてではなくあえて一つだけにすることで、幼児の「できた!」という達成感や「やりたい!」という好奇心を促すのである。一方で、すべてのボタンを留めた場合、幼児には「誰かがやってくれる」という感情が芽生え、主体性が失われてしまう。さらに、失敗しても何度もやろうとするレジリエンスの成長を妨げる可能性がある。親や周りの人は善意でやっているつもりでも、その手助けは子供にとってデメリットになりかねない。これらを防ぐには、真の手助けとは何なのか、手助けをする側自身がよく考える必要があると推察できる。
確かに、手助けは良い面と悪い面どちらの側面も持っている。しかし、子供は大人を小さくしたものではなく、それ独自の価値を持っているという名言があるように、個々にあった最善の手助けというものを見出さなければならない。それを見出し実践した結果が、一人ひとりにあった最適な手助けと言えるだろう。たとえ善意を持っていても、それが自己満足につながるものなら、その手助けはおせっかいと呼ばれるものに一変する。手助けをする上で一番大切なことは、自己満足の手助けと真の手助けの境界線を見極め、相手を理解し、尊重することではないだろうか。