進路

   高2 あうては(auteha)  2026年7月1日

  栄光ゼミナールやニフティが実施した調査によると小学生に比べ、中学生で将来就きたい職業がある人の割合は10%以上も低かった。小学生が抱く純粋な夢が、学年が上がるにつれて現実的な思考へと転換している。実際に私も中学生の頃は医者になりたかったのだが、高校生になった今では理科系が苦手なため医学部は多分無理だろうと自覚し、夢を消失している。このように、勉強面や経済面、安全面など様々な要素がわかるにつれ、自分の前に開けた道は狭まっていき、将来就きたい職業を喪失していく流れは現代が抱える体質に起因しているのではないか。得意分野を諦めざるを得ない環境によって、将来やりたいことを見つけるのはなかなかに困難になる。就きたい職業が決まらないのは問題だ。

 第一の原因は、社会からの目が根強く存在しているからだ。これは必ずしも医者の子供は医者になることを期待されているといったような限定的なものではない。一流の企業、技術職、建設業など職種にも格が存在しているが、そのレベルでの話である。例えば両親が高学歴だったり、高収入だったりすると、どうしても子供には世間からの暗の期待が覆い被さっていたりする。その子供が技術職を望んでいたとしても、周囲からの圧力で専門学校への進学は封じられることも想像に難くはない。自身の家庭や生まれ育った環境、能力などで進める道は狭まっていく。高校に進学するのは当たり前、大学も高校の偏差値に見合ったところなどという世間からの暗の期待、言い換えれば世間の型にはめられて、自分の得意分野を職業にすることは難しくなっている。

 第二の原因は、評価基準が限られているからだ。評価の尺度が少ないために、例え得意分野があったとしても全く活かせず伸ばせない場合が多い。例えば、入試方式についても、完全にテストができるかできないかのみで合格不合格を篩い分けている。現在では小論文など入試方式は少し増えたとはいえ、限られた側面からのみ人を評価していることに変わりはない。その大学でやりたいことがあったとしても入試を乗り越えなければ進路は開けない。しかし入試は点が取れるか取れないかのその一点のみでしか評価してくれないのだ。私は、物理が好きだけれども得意ではなく、他の物理が得意な理系の人たちと戦い合える自信は無いので、理系の道は諦めかけている。しかし、理系の職業は全てが全て物理が得意であることを求められているとは俄かには信じ難い。たとえ得意分野を持っていたとしても、現代社会の数少ない評価基準と合致したものでなければ進路には活かせない。

 確かに、職業はいつでも決められるし、今すぐに見つける必要はない。とりあえず良い大学に行っておくなど進路の可能性がなるべく広く保たれるような選択を行き当たりっばたりでしていき、いつか来るかもしれない成りたいものが決まる瞬間を待つのもまた一つである。しかし、基本的に時間は有限であり、早いうちから進路を定め、それに向かって進んだ人との差はどうしても生じる。これは回り道をしているか、まっすぐ進んでいるかの違いなので基本的に避け難い。自分の人生は、他の誰のものでもなく、自分自身のものだ。外部から自分の意思とは関係なく人生の方向が決定づけられているのは問題だ。