ただ、ひとつ留意しなくては (感)
中3 あえとみ(aetomi)
2026年7月2日
母親語と似ていながら非なるものとして、「赤ちゃんことば」がある。日本ではおとなが赤ちゃんに語りかける際、同調して交流を促すために「赤ちゃんことば」を使う。しかし、フランス語文化では赤ちゃんに対しても、おとなに対するのと大差ない言葉を使って会話する。社会の中で子供をどう位置づけるかという価値判断により、赤ちゃんことばの発達は著しい多様性を示しているのだ。むろん、赤ちゃんことばを使う日本式のしつけ方は、日本文化で育つ子供の性格形成に大きな役割を果たしている。子育てといっても正解は存在しなく、様々なしつけ方がある。
その中に日本式のような子供の目線に合わせて接するしつけ方が挙げられ、そのしつけ方は良いという意見がある。日本式の子育ての根底にあるのは、「母子一体感」と「甘えの受容」である。欧米の親なら子供がご飯を食べない場合、「食べなさい」と大人の権威を軸に子育てをする。しかし日本の親は「少しでいいよ」や「じゃあ、また明日食べようか」などといった子供に寄り添おうとする傾向がみられる。また、両親が子供を挟んで川の字で寝たり、べたべたと甘えさせたりすることで子供にたっぷり愛情を注げ、安心感を心の基盤として形成できるのだ。教育心理学者である榎本博明氏が指摘しているように、日本式の子育ては子供への譲歩のもと、他者への思いやりの心や協調性が育つメリットがある。実際に職場体験で保育園を訪問した際、先生は散歩に行きたがらない子と目線を合わせ、「行きたくないね」と共感しつつ、「でもみんなが待っているよ」とその子が散歩にいくように促す接し方をしていた。振り返れば、これこそ大人が子供の気持ちに共感し、安心感を与えるのに加えて、子供の意欲を引き出そうとする日本式の子育てなのだろう。今の私達の心の土台となったのは、このような幼少期からの人とのかかわりの中で、大人の譲歩や共感から得た安心感であると考察できる。その結果、「気持ちを理解してくれている」と認識し、のびのびと過ごすことができたのであろう。
しかし、フランス式の子育ては日本とは異なる。フランスは子供を「小さな大人」とみなして接するのだ。これもまた良さがあるといえるだろう。なぜなら子供自身の自立を図れるからである。フランスは、自立と自制を育てる教育をする。例えば赤ちゃんが夜泣きをした時、フランスの親はどうするだろうか。日本の親なら、すぐに抱きかかえて抱っこしたりミルクを飲ませたりするだろう。しかし、彼らはそうはせず、5分間ほどベッドのそばで見守り、何もしない。こうするのには、フランス人の親たちが子供に対して「自分で眠りに入る力がある」と考えているからだ。赤ちゃんが泣くときは、多くの原因が考えられるが、睡眠のサイクルの合間に一瞬目が覚めて、声を挙げる時がある。その場合、「今すぐ抱き上げたら、自分の力で深い眠りに入ろうとしていたのに邪魔をしてしまう」という考えが生じるため、何も行動をとらないのである。このように、フランスではたとえ赤ちゃんでも、一人の独立した個人という思想のもとに、親がいなくても行動できる自立した個人に育てるのである。自立した個人を育てるという観点からは、子供に厳しくするフランス式の子育ては合目的であるといえるだろう。毅然とした社会や家庭内のルールの中で生きていくには、このような教育は必要である。日本のように子供を甘やかすのも悪いことではないが、それが過度であると、個人の自立の妨げになる可能性がある。また、海外は社会の基礎に個人を置き、個々の独立と活動の自由を尊重する個人主義である。そのような世界では、自身の明確な軸を持ち、主張しなければならない。そういった意味では幼少期からの自立・自制の教育が、将来の独立した個人を構築することにつながるといえるのかもしれない。
確かに子育ての手法は異なるが、どちらも子供を尊重して人間性を育むという点は普遍的だ。私たちの人生は、私たちが費やしただけの価値があるという名言があるように、親と子のどちらも、子育てを通じたかけがえのないかかわりを紡ぐことが良好な相乗効果につながる。だからこそ、一番大切なことは、親が子どもへの深い愛情を注ぎ、それを受けとる子供との温かい循環を保つことではないだろうか。