清書
中3 あんじゅ(aenoyo)
2026年6月4日
教養というのはその道の専門家になるための技術として学ばれるのではなく、一個の素人としての自由人にふさわしいものとして学ばれるものなのだ。私は専門的な知識だけでなく、幅広い教養を身につけた人間になりたい。
方法第一として、得意な分野以外のことで、一見無駄に思うことようなことにも目を向けることだ。私は、理科の授業をあまり真剣に聞いていない。理由は、座学だからというわけではなくて、あまり興味がないことも関係あるだろう。原子や粒子、物理的なことなどは特にわかりにくい。正直にいうと、理科を真剣に覚えても将来の使い道はないだろうと思っていた。しかし、最近何となく授業を聞いていると少し興味が湧いてきた。理科の中でも、天文や地学はあまり身近でもないため、嫌いだった。しかし、四季のある理由や様々な星などの動きを聞いていると、よく不思議だと感じていたことの答えを知ることができて楽しい。ちなみに四季の変化は地球が軸を傾けながら好転をして自転していることで太陽の当たり方が時期によって変化するようだ。真剣に聞いていると自分が思っていたよりも、地学や天文学の話も面白い。最近は、授業も前よりも真剣に受けるようになった。全く興味がないことに少し目を向けただけで、思っていた以上に収穫があった。地学や天文学は、ある意味学校でしか学ばないため貴重な時間なのかもしれないと思い始めた。中学校では学んでいても、高校になると天文学などの授業は取らないともう学ぶ機会がないことようだ。たくさんの知識を身につければ身につけるほど将来の役にも立つだろう。これからは、興味がなくても、雪花雨の機会を無駄にしないように話を真剣に聞こうと思った。
第二の方法は、学校などでも知識を詰め込む教育だけでなくて、幅広い教育を受けることだ。私の学校はもちろん普段は、知識を詰め込むような授業が多い。しかし、遠足と校外学習が1年にそれぞれ1回ずつある。校外学習では、宝塚や能など基本のマナーを学べるような場所へ行って教育をすることがある。遠足で万博に行ったりと、こちらも普段学ぶことのない珍しい体験を得ることができる。実際に能など芸術作品の鑑賞は正装で見に行くことを知れる。正装というのはラフな服装ではなくてスカートやポロシャツなどのフォーマルな衣服のことだ。服装以外にも、現地集合と現地解散があるためそれぞれ電車の行き方や、乗り換え方法を知ることができる。実際に私も、宝塚へ行く時使った阪急電車で梅田まで運行していること、さらに乗り換えをしたら兵庫県まで行けることも初めて知った。私は、校外学習で特に様々な自分の身になることをたくさん学んでいる。勉強のように役に立つようなことを、学校の校外学習など楽しめる行事で社会のマナーなどを知れるのはとても得なことで、学生の学校に通っている間にしか学べない。学校だけの詰め込むような教育だけではなくて、いろいろな種類の教育を受けることで幅広いことを知れるなと思った。
確かに物事に一点集中して、探求していくことは大切だ。しかし、一点集中などの限られているだけの教育では幅広いことを知れない。それに、幅広いことを知っておかないと、一つのことのみ意識していても視野が限られてしまう。視野を広げるには、専門的な知識だけでは行き詰まってしまう。一つのことばかり見ていたら、他との深い繋がりを持っている部分に気付けない。専門的な知識のみでは、意味がないのだ。様々なことを、同時に学ぶことで、メインで学びたい部分に奥が出てきて興味がより湧くのではないだろうか。「少しでも広い視野を持ち、常に『どうするか』と『どうなるか』を考えて、充実した人生を送っていきたいものですね。」という名言があるように私たちは広い視野をいつでも身につけて、充実させた学び方をしていきたい。深く物事を掘り下げれるようになるには、専門的な知識だけでなく幅広い知識と教養が必要なのだ。