「発見」と「創造」
中3 あおらえ(aorae)
2026年7月2日
学問の世界においては学ぶこと、想像することの喜びはとりもなおさず、考えることの喜びだと思う。どんな分野の学問でも新しいものを発見し、創っていくことに本来の意義がある。たんなる知識の受け売りは学問とはいえない。知識とは考えるための資料であるからだ。ではいったい、創造を生み出す力はどこからやってくるのか。人が親から受け継いだり、周囲の人間から学んだり、あるいは学校で勉強したりしながら自分の中に蓄積していったものだけでは創造あるいは飛躍はできない。その蓄積されたものを表出させるなにかしらの条件が要るのである。その条件はしばしば「逆境」という言葉で表される。世の中で成功した人は大抵逆境を乗り越える能力をもつ。だから、逆境をプラスへ変える生き方をしたい。
いくつか方法があるが、そのうちのひとつは失敗を恐れないことだ。エジソンの「失敗は成功の母」という言葉もあるように、失敗をするうちに成功へと近づいていく。ところが何もしなければ、失敗が起きない代わりに成功も起きない。ジャックと豆の木という童話がある。貧しい家の子のジャックが牝牛を売りに行く途中にある豆と交換してしまう。その豆の木を辿ってたくさんの財宝を持って帰るが、豆の木を切り倒すと消えてしまう。その後、ジャックは楽をして幸せを掴めないと悟り、まじめに働くようになる、という話だ。ジャックは豆の木に魅せられ、結局失敗してしまう。しかし、その後彼がまじめに働くようになったということは一種の成功であるように、失敗を恐れずに挑戦を欠かさないことが大切だ。
もうひとつの方法として、周囲の意見を取り込むということが挙げられる。自分だけだと見えなかったものが他人からは見えていることもあるから、たとえ逆境でなくとも周囲の意見は参考になる。私は去年の運動会で幸か不幸か、クラス対抗のリレーで走ることとなった。リレーで走るのには一抹の不安があったが、同じクラスの、同じくリレーに参加する陸上部の人から、バトンの握り方や手の位置など、バトンパスの仕方を丁寧に教えてもらった。私よりも彼のほうが経験は圧倒的に多いので、それに素直に従ったら、出来栄えはともかくリレーに対する怖気づいた心が消え、自信がついた。結局のところ学年の順位が6クラス中3位になり、可もなく不可もなくといったところだったが、彼には相当感謝をしている。
しかし逆境は必ずしも良いとは限らない。これが絶対的に良いとなると、逆境があればあるほど良いということになるが、そうではない。多すぎると逆に挑戦する意欲を失ったり、ストレスがたまったりしてしまう。しかし、「艱難汝を玉にす」ということわざがあるように、逆境によって人は磨かれていく。逆境がなければ人は変化しないからこそ、逆境は重要なのだ。それがあるから、人々は物事を深く考え、必死にプラスへ転じさせようとする。そして、それができた人もできなかった人も、逆境に出会うたびに少しずつ変化していく。変化しない人は、逆境に出会っていない人、出会おうとしない人で、だからこそ逆境を恐れることなく、それと向き合い、成功や失敗関係なくとにかく乗り越えることが肝要である。