二者択一か、それとも

   高3 かずま(auyoto)  2026年7月2日

 テストの点数は人間の価値を図る絶対的な尺度であり得るのかという問題について、A、B両氏の紙上討論が行われた。A氏。テストはやはり必要ではないか。もし競争原理を否定したら、どんな世の中になるだろう。社会各般の活動を停止せねばならなくなる。人より速く走るな、理解は人より早くするなというのは無理な話である。B氏。教育に評点は不必要であるばかりでなく有害である。評点の目指すところは点取り競争であり、学校を優勝劣敗、弱肉強食の場に変えてしまった原因の一つである。この競争原理を否定しない限り学校の荒廃はなくせない。確かにどちらも筋の通った論説だ。しかし、この二人に限らず多くの人が、そもそも、二つの持つ効能を正しく理解できていないのではないか。

まずこの議題はどっちつかずという視点が持ちづらい。確かに教育の基準を数字で取るか取らないかは、一見すると二者択一のように思える。そうして自分が納得した片方の意見のみを選択し、もう片方には目もくれないという事案が発生してしまう。それでは、自分が選択した方の効能を正しく理解できても、もう片方を自分のものとくらべ、貶め、さげすむようになってしまうだろう。これが二つを中立的な観点で見ることを阻害し、二つの効能を正しく理解する最大にして最強の障壁だ。程度の差はあれ、結局自分が選択した方が優れているとなってしまえば、両者の正しい効能を理解することは出来ないだろう。だが実際に数字で取るか数字で取らないかという問題は、0か100かの問題ではない。昔は将来につながる成績に関わってくるのはテストの点数だけだったが、今では主体的に学習する態度という新たな項目が加わるようになった。もちろん従来のテストの点数が考慮されなくなったわけではない。このように両者は決して二者択一ではないのだから、どちらか一方の支店に凝り固まる前に、両者を第三者の目線、中立、どっちつかずの視点で観察する必要があるのだ。それが出来ていないと、今日のように正しいのはアレだ、いやコレだなどという無駄な論争を呼ぶ羽目になってしまうのだ。

解決するためにできることは、より果敢に、広い視点で物事を見ていくことしかないだろう。前述した問題は、二つの選択肢をよく観察すること、そして0,100でなく、中間の選択肢を考慮することで解決する。昨今、このようなどっちつかずという視点はかなり注目されていることかと思う。学校でも一つの物事を様々な角度から視てみよう、二つの意見を組み合わせてみようなどと教わることがあるだろう。しかし、だとしたらなぜ今回に限って両極端な論争が巻き起こっているのだろうか。しかも議題は、よりによって教育の方針である。教育の中で二つのことを学んでおきながらその教育に関する問題で、両極端な論争が巻き起こるとは皮肉なものだ。これはなぜか。やはり教育という公共事業の重要性を、多くの人が見にしみてわかっているからだろう。かつて日本は米英中などとの破滅的な戦争に及び、有史に残る大きな被害を受けた。そのような戦争に挑んだ理由として後世の人間、つまりわれわれだが、は様々なものを考えた。その一つには教育も含まれている。戦前の皇道教育によって育てられた人間が戦争を引き起こし、敗戦という痛手を負わせたのだといった具合だ。その結果、昔以上に我々は、教育という制度に対して畏怖の念を抱くようになり、やがてそれは改革への恐怖につながることになった。その結果、恐怖から目を背けるか、恐怖を完膚なきまでに撃滅するかという二つの、両極端な視点に人々の思考が陥りやすくなり、今日の論争があるのだと私は思う。確かに、教育という国の未来を作る事業だからと言って怖気づくのは分かるが、そうする必要も意味もない。もちろん無鉄砲にやればいいわけではないが、決して停滞してはならないのだ。両極端な論争を続けては、いつまでたってもよりよい社会は作れない。その先にあるのはどちらか一方がもう片方を弾圧する時代だ。そのような時代は誰だって後免被るだろう。我々は新たな終着点を見つけるために、恐怖を克服せねばならないのだ。目を背けるでも、否定し続けるでもなく。

結局のところ、数字を重視するかしないかは、何を育てようとするかの違いでしかない。のではないか。数字を重視すれば伸びる人はさらに伸び、逆に落ちこぼれはさらに落ちこぼれる。一方重視しないというのであれば、伸びる人が自分の能力を生かしきれないが、落ちこぼれがどん底から這い上がるチャンスが得られる。この二つの性質をどちらか一方だけを支持し、他方を陥れる努力ではなく、中間点を探す努力をするべきなのだ。かつて高度成長期の日本では、大きいことはいいことだと言われてきた。ならば我々も大きい懐を持ち、両者を冷静に眺め、観察するべきではないか。決して極端な思想を持ち、他方と消耗戦をして永遠と戦い続けるわけにはいかない。我々に必要なのは新たな視点、中間点であり、騒ぎ立て続ける地獄の絶滅戦争ではないのだ。