ノーの中にあるイエス

   小5 ゆきのん(akiyura)  2026年7月2日

 正反対のものを一緒にし、折衷して、日本人はそこに独自の判断領域を設定する。だから日本人のノーは、けっして絶対的な否定ではなく、その一部にイエスを含み、イエスはその中にノーの要素を合わせ持っている。どのくらい可能性の余地があるか、その「残された部分」を両者は見きわめようとする。

 私は姉弟間のおもちゃの貸し借りで同じようなことを感じた。本当は私のおもちゃだけど、弟がどうしても使いたいと言った。始めは貸したくなかったが、考えた結果、私が使っていない間は、弟が使い、私が遊ぶときは私が使うことにした。その理由は2つあって、1つ目は絶対的に否定せず、譲ってあげることで、弟から文句を言われることによって気分が悪くなることを回避しているからだ。そして2つ目は反対に今回譲ってあげたことを理由に、弟のおもちゃを借りることができるかもしれないからだ。私も日常で、弟と「残された部分」を見極めようとしているのかもしれない。

 また、父に具体的なエピソードがないか尋ねてみると、仕事や地域の話し合いの場について教えてくれた。大人の世界でも、今後のことを決めていくときに、意見が1つにまとまらないけれど、最終的には1つに決めないといけないことがたくさんあるようだ。そのような場合、自分の意見や考えだけですぐにイエスやノーをはっきり決めるのではなく、議論に余白を設ける。具体的には、相手が考えていることを想像しながら、この意見については◯◯、この意見については✕✕といった形で折り合いをつけていくことで、自分の中では100%納得ではないかもしれないが、みんなの意見として1つに上手くまとめることができるそうだ。「ノーの中にイエスを含む」ことで、物事をうまく進めることができることに繋がると思った。

 絶対的な否定をせず、肯定の余地を残すことで、結果として利益を得られることに加え、良い人間関係が維持できることがわかったので、生活や学校の中で活かしていきたいと思った。