得意なことに自信を持つ
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現代の日本社会において、得意分野が何かと聞かれた際に、確固たる自信を持って自らの長所を答えられる若者は少なくなってきている。私は、あらゆる領域を平均的にこなす「ゼネラリスト」を目指す風潮によって、各人が持つ尖った個性に自信を持てなくなっている現状こそが問題であると考える。では、なぜ今の若者たちは、自らの固有の強みを誇れなくなってきているのだろうか。
その原因として第一に、日本人特有の横並び意識や、過度な謙虚さを美徳とする性格が関係しているからだ。すなわち、日本には古くから「出る杭は打たれる」という格言があるように、周囲との同調を重視し、へりくだることを正しいとする文化が根付いている。自分にはこれができると胸を張る行為は、時に傲慢とみなされるため、他者と同じ枠組みに収まることで安心しようとする心理が働く。しかし、この姿勢は自らの才能を埋もれさせる危険性を孕む。僕も去年の文化祭の演劇で背景映像を制作する人がおらず、周囲が困っていた時にこれを痛感した。僕は普段から動画投稿をしており、編集技術には自信があったため、最初は立候補しようとした。しかし、「自分がしゃしゃり出て失敗したら調和を乱すのではないか」と考え、立候補しなかった。ところが、その後動画編集が得意だと知る友達の勧めで任されることとなり、劇は成功した。確かに、周囲に合わせていれば波風は立たない。だが、批判を恐れていては能力を伸ばす機会まで失ってしまう。つまり、均一性を重んじる社会は、若者が自らの強みに胸を張る自信を奪ってしまいがちなのだ。
第二の原因として、近代以降の日本が欧米という指標に追いつこうとしてきた歴史的背景が挙げられる。つまるところ、近代化の過程で「西洋こそが正しい」という考えに囚われ、その教育制度を取り入れてきた。しかし、日本には独自の社会のあり方があるべきであり、欧米への追従から始まった「全ての教科を満遍なく底上げする教育」が、個人の特殊性を抑え込む要因となった。例えば、欧米では一芸に秀でた才能を早期に発掘し、徹底的に伸ばす仕組みがある。一方で日本は、欠点のない均一な人間を育てる教育に固執し、高度経済成長期には適応したものの、現代では突出したイノベーションを生みにくいという課題に直面している。
確かに、幅広い知識を身につけてバランスよく生きることも有効だ。しかし、「人間万事塞翁が馬」というように、一時の平均値だけで人間の真価は測れない。何かに特化した個性や能力こそが、新しい時代を切り開く原動力ではないか。かんじんなことは、周囲と同じであることに安堵する平準化ではなく、自分だけの「尖った武器」を認め、それを育てる時間的なゆとりを社会が提供することなのだ。