努力を積み上げる

   小6 わかば(akahime)  2026年7月3日

 家庭訪問があるため昨晩母が苦労して片づけたおかげで、かなり快適そうな子供部屋になっていた。まるで賢い子供の部屋のようだ。だが、机の引き出しを開けると、昨日捨てきれなかった小物類がごちゃごちゃとは言っていた。やがて、先生と母が子供部屋に入ってきた。先生は私の机の上を見て、「お、机の上がきれいになているね。だけど引き出しの中はどうかな。」と言って引き出しを開けた。万事休す。もうおしまいである。先生がお土産を持って去った後、母は私に「あんた、もっとしっかりしなきゃダメじゃないの」と予想通りの小言を言った。

 いつもできないことは結局本番になってもできない。私は良く母にそう言われる。逆を言うと、いつも行ってできていることは、大事な大一番な場面でも可能だということである。私は実際、それを体験したことが数えきれないほどあると思う。良い方向だと、毎朝私は五時半に起きて公文英語に取り組んでいる。それを一年弱やり続けた結果、英検四級で満点を獲得することができた。私は朝型で、夜行うと、眠くて基本的に本来の実力よりも低い点数が出るということが分かっている。そのため、朝早い時間に起床することで、集中力を向上させることができるのである。だらだらと長時間必要のないことを費やすのは時間がもったいないし、逆に短時間で適当に行うのも頭に知識として取得できないため、もったいない。ある程度の制限時間を設けて集中してやることで英検で良い点数を取れたのだろう。ちなみに、一緒に受けた人たちの中で、模擬テスト的なのを行ったときに、ミスが多かった人たちは落ちていた。いつもできていないことは本番でもできないのである。私にもできなかった経験がある。それは学校のペア活動プロジェクトになったときのことである。中を深めようという目的で一年生とスタンプラリー的なイベントを実施したのだが、それを企画し始めたのはイベントの二週間前で、ほとんど時間がなかった。そのため、授業中に私たちだけ抜けて、スタンプラリーの準備をすることになってしまった。そのおかげで何とか行えたが、当日ハプニングが次々と起き、対応ができなかった。そして、先生に迷惑をかけてしまったことを後悔している。もともとスタンプラリーをすることは決まっていて、時間は十分にあったはずなのに、前から話し合ったりしなかったせいで失敗が起こってしまった。

 母に聞いてみると、母にもそのような経験があるらしかった。社会人になるまで、母は課題などを締め切りの前日に終わらせるようなスタンスで望んでいたらしいのだが、社会人になり、それをしてしまったら、プレゼンの際に反対意見や質問等がもたくさん出て、フルボッコにされてしまったらしい。そこから、締め切りの大分前にプレゼンの資料をつくり、どのような質問が来るのか、反対意見が出されるのかを考えて、事実を表す図などを作ったり探したり、それに対する対応などを考えておくようになったそうだ。そうするようになってから、質問されても臨機応変に対応できるようになったそうだ。私はそれを聞いて、前日に終わらせたりすると、物自体は完成しても脳内に自分の考えや知識として身につかないのだと感じた。まるで努力とは積み木のようである。一日一つずつ積み上げていくと、前々から積み上げていれば土台がしっかりしていて、高くそびえたつ、決して倒れない知識となるが、さぼっていて、後から積み上げていくと、高さがなくなったりすぐに壊れてしまう。一日限りの努力は見せかけの自己満足的な物であり、本当は努力と呼べないと思う。

 努力とは人間にとって地道に積み上げることで、とても大変で時間がかかるが、縁の下の力持ちのように、後々良い結果を作ってくれる大切なものである。私は見せかけやその場しのぎで何かを行うのではなく、そのことに真正面から向き合って、努力を積み重ねていって、自分にとっても、他の人にとっても良い結果を出せるような人間になりたい。