ユージーン(清書)

   中2 すりりんご(akimano)  2026年7月4日

 ユージーンは、街のなかに障害者がいても人の流れが変わらない街だった。そして、障害者と自然にむきあう街だった。アパートを借りるとき、管理人は、家賃などの契約を説明したあと、あなたが一人で住みやすいようにこちらで変えられるところは変えましょうと言った。「障害者に理解を示す」というより、きわめてビジネスライクな対応だった。そこには、車椅子の一人暮らしは危険という無言のメッセージはなく、アパートを貸す、借りる者の「大人」と「大人」の関係があった。しかし、日本で「大人」扱いされないわけではない。だが、車椅子を押す人が後ろにいるだけで、大人と子どものワンセットになってしまうことがある。電動だと、後ろに人がついていないため、セットにしようがない。一緒に行く人がいても、その人は後ろではなく横を並んで歩く。このことは私と人との関係を対等にする。ユージーンの風は私に自由のなり方を教えてくれた。障害が自由をどれだけはばむかは、その時代、社会が、障害者をどう位置づけ、そのなかで人と人との関係をどうつくっているかで決まる。

 私たちは、障害を持つ人に手を差し伸べていくべきだ。小学校四年生の時に、三つの障害を持つ人の体験をした。一つ目は、車椅子体験だ。ペアをつくり、実際に車椅子で体育館をまわってみた。設置された人工の坂を上ってみた。すると、自分の手の力だけで前に行くことはとても難しかった。後ろを誰かに押してもらえないと自分が思うようには進まなかった。二つ目は、視覚障害を持っている人の体験をした。アイマスクを付け、白杖を使って階段を歩いてみるというものだった。ペアの人の話をよく聞いて、良く確かめて一歩を踏み出さないと不安で怖かった。普段は平気で歩く階段でも目の前が見えなくなると、命取りになってしまうと思ったほど恐ろしかった。三つ目は、高齢者体験をした。実際に高齢者の体や目線に近づけるために、特殊な眼鏡を付け、重さを極端に重くしたベストや靴を身に付け、厚手の手袋を付けた。座ってみると普段と変わらないようだったが、立とう、と思って立ってみると身体が椅子に引き付けられているかのように重かった。歩くことも一苦労だった。特に、椅子に座った後に、お箸を使って豆をつかむ体験で、良く視界が見えないゆえ、手が思い通りに動かないということも重なってとても難しかった。三つの全てを体験したが、全て違う不自由さや苦しみがあることに気が付いた。私は、これらの体験から、電車やバスなどの公共交通機関の中でヘルプマークや高齢の方に席を譲るように心がけている。実際に自分が体験してみることによって、障害を持つ人には席を開けましょうという外見的なものではなく、論理的な意見があることにより、席を譲ることへの重要さを改めて実感することができた。私たちが席を譲るなどの障害を持つ人に手を差し伸べることで、私たちも、障害を持つ人もどちらもそれぞれ、メリットになることが分かった。

 しかし、障害を持つ人たちが、自らの力でやり遂げようとする意志を尊重することも大切だ。聞いた話であるが、以前、障害を持つ人の講話があったそうだ。障害を持つ人は普段、支援施設で働いている。私も、実際に支援施設で作られたキャロットケーキを食べたことがある。そのような支援施設では、市長や町長などの首相が訪問してくる。首相たちは、施設の様子を見た後、必ず、「頑張って下さい。」などと励ましの言葉を送るそうだ。私たちも首相と同じことを言い、それが障害を持つ人にとって一番うれしい言葉だと思っているにちがいない。しかし、実際、障害を持つ人はその言葉が嫌だと述べている。障害を持つ人は、自分はこれ以上のことはできないというくらいに一生懸命頑張って働いているのに対して、これ以上のことを言われても困るという理由である。これは、私たちと同じなのではないだろうか。私たちも、自分の力でやり遂げようとするところが生活の中にある。「五体不満足」の著者は、障害を持つ人でありながら、健常者と一緒の学校へ通い、卒業した。そこには、自分の力で物事を成し遂げたいという強い決意があったのではないかと考える。障害を持つ人自らの力でやり遂げようとする姿を尊重していきたい。

 確かに、弱者に手を差し伸べることも、自らやろうとする意思を尊重することもどちらも大切だ。しかし、私たちの人生は私たちが費やしただけの価値がある、という言葉があるように、対等な立場でみんなが一つの人生を歩んでいくのだという姿勢が最も大切である。私は、障害を持つ人の体験や、障害を持つ人のことを考えるうちにたくさんの意思があることを知った。意思とは、健常者と同じく、障害を持つ人でも当たり前に持っている。だから、その意思を普段、私たち健常者が大切にする、されるように障害を持つ人の意思がこれから社会で大切にされる世界になっていくともっと人々の笑顔や安心が増えるのではないだろうか。そのような世の中になっていくことを願いたい。まずは、障害を持つ人だからという理由でただ席を譲るのではなく、手を差し伸べながら、頑張るところをそっと手助けして見守ることが一番そのひとたちにとって嬉しいことなのかもしれない。