清書

   中2 あかさふ(akasahu)  2026年7月4日

 ユージーンは、街の中に障害者がいることで、人の流れが変わらない街だった。それは、送れないからバスで行ってと、相手がさらりと言えることであり、

その日の仕事を終えて、また明日、とあいさつして、右と左に分かれることのできる、あるいは明日は何時にどこそこでと約束し、その時間にその場所へ

一人で行って、帰ってくることができる、ただそれだけのことだったりする。しかし、そのことが私をどれだけ自由にするかを、ユージーンの風は教えてくれた。

このように、障害者を一般の人として考えること起きるメリットがある。しかし、逆に言えば、デメリットももちろんある。

では、日本のように障害者を優しく扱うことは良いのだろうか、それとも悪いのだろうか?

まず、良い理由としてはどんな困ったときでも、助けてくれるということが一番だろう。

私は、小学一年生の頃自分の右腕の手首を骨折したことがあるが、その時、子供ながら、自分のことをいろんな人が助けてくれた。

例えば、私の小学校では、給食は給食当番がお椀やお皿に入れた給食をお盆の上に自分で載せるシステムだったのだが、

お盆を持ちながら、お椀やお皿を取ろうとすると、どうしても両手を使う必要がある。しかし、私は右手が使えなかったのでとても困った。

そこで、私のクラスメートは私の給食を取ってくれた。そのおかげで、給食を食べる時間も十分に取れ、給食をちゃんと食べることができた。。

また、小学校になってから掃除の時間があったのだが、その時間は、机を運ばなければならなかったが、片手では机を運べなかった。

そこで、私のクラスメートが机を運んでくれて助けてくれたのである。このように、障害者に優しくしてくれようとすることで、

障害者たちが困ったときにはいつでも助けてくれるというメリットがある。

だが、悪い点もある。それは、ピンチの時に頑張ろうとする機会を奪ってしまうことがあることだ。

小学一年生のころ、学校の宿題として、ひらがなを書きとるという宿題があったのだが、右手が折れ、利き手が使えなかった私はどうやって文字をかこうか

と困っていた。

周りの人は無理をせず書かなくてもよいといわれたのだが、一人も左でかけばよいということは日本に多い障害者には優しくするということから

なのか言わなかった。その時、左で書く練習をしておけば、

もしかしたら、今両利きだったかもしれない。私はピンチの時に良い力を発揮するのだが、腕を折るというとてつもないピンチならば、

左利きの才能が開花するかもしれなかった。だがしかし、そのような機会があったのにもかかわらず結果的にはそのまま過ごしてししまうというデメリットもある。

私としては、やはり「失敗は成功の母」というエジソンの名言があるように、失敗することがあっても、そこから頑張った。

このように、ピンチの時に頑張ろうとする機会を奪ってしまうというデメリットもある。

まとめると、障害者を優しく扱うことは困った時に助けてくれるというメリットもあるが、ピンチに頑張ろうとする機会を奪ってうとすればよいことが起きると考える。

なので、どんなピンチが訪れても、挑戦をすればいつかは成功する。だからこそ、障害者にとっては失敗を恐れず頑張って挑戦することが一番大事であり、

そして、その障害者たちの応援をすることが周りの私たちにとっては一番大事であるのだ。

私自身失敗することはとても怖いことだと考えている。しかし、私はその恐怖に打ち勝って、いままでたくさんのチャンスを得て、成功してきた。

例えば、みんなの前で発表をたくさんしていたことで、教科書の授与を任されたりした。成功することもあるからこそ、

障害者の挑戦は応援するべきだ。優しくすること以外にも、挑戦を応援することも一番大事だと思う。