時間対効果がなくとも

   高2 あおそふ(aosohu)  2026年7月3日

 生まれたときから物心つくまでの母親と子どもの人間関係、学校にはいってからの教師と生徒の人間関係、友人との人間関係、そして結婚後の夫婦の人間関係、職場の人間関係、近隣の人間関係……かぞえあげていったらきりがない。そのきりのない人間関係のなかで、ひとりひとりの人間の精神がつくられてきた。それにもかかわらず、現代では人間関係を構築することを毛嫌いし、一人で過ごしたいと考える人が増えている。このような人たちが、人間関係を嫌悪する発端は、人間関係の構築のしかたが分からないことであると思う。人間関係をうまく構築できていない人々が増加しているのが問題である。

 その第一の要因は、情報社会の発達により人間関係を必要としない場が増えたからだ。

 登校時の電車内のほとんどのひとが、何かにとりつかれたように携帯端末に釘付けになっている。たまに新聞や本などを読んでいる人を見かけると感服してしまう。大人はまだしも、小学生や中学生など様々なことを吸収する時期に携帯端末をいじって過ごすというのはいかなるものかと思う。友達と大阪の某テーマパークに行き、アトラクションに乗るため並んで待っているときのことなのだが、目の前にいた小学生三人が会話を一切せず、それぞれ携帯端末をいじって過ごしていた。その姿をみて、なんだか虚しく思ってしまった。確かに、たった一、二分のアトラクションのために何時間と並ぶのは退屈なため、携帯端末を操作しているほうが生産的かもしれない。しかし、ここで友達と会話したりすることによって人間関係が構築されるのだ。情報社会の発達により時間対効果ができるが、それではいつまでたっても先述の問題を打開できない。

 第二の要因は、少子化や核家族化の中で家庭内での人間関係が少なくなったことだ。

 日本には地域ごとに伝統的な年中行事というのが存在したはずなのだが、年々絶えつつある。そんな中、どの家庭でも毎年やる年中行事といえばお正月だろうか。このお正月も昔と比べると随分、簡略化されてきている。戦前までの日本では、親戚一同があつまって、餅をつき、おせちをつくり新年をいわったものだ。一方で、現代のほとんどの家庭では、お餅を買い、おせちを買って、核家族内で新年を祝う。もしかすると、お餅やおせちを食べない家庭もあうかもしれない。このように、日本の年中行事は希薄になり、それと同時に親戚関係も希薄になってきている。人間関係を必要最低限におさえたような生活様式だ。そんな環境では、人間関係を教わったり、学ぶことができないだろう。

 確かに、人間関係を円滑にするためには、自己を抑えなければならないことがおおく、自分を喪失したり、相手にあわせることに疲弊するかもしれない。しかし、人間関係というのは、精神的疲弊を伴う関係だけではなく、自分を飛躍させてくれるものである。沢山の人と関り、沢山影響をうけて、新たな考えがうまれ、そして変わろうとする。可塑的な存在である人間は、人間関係によって昨日の自分より一歩進むのだ。