新旧の割合
中1 たくみ(nomutaku)
2026年7月4日
最近、といってもだいぶ前のことだが、ラジオの音楽番組の解説者が、「では皆さん、よい週末をお過ごしください」といった挨拶をするようになった。多くの日本人にとって、欧米の文化や風速習慣は依然として自分たちの生き方の目標や憧れの対象であるようだ。明治維新で、これまで日本国内には見たことも聞いたこともない新奇なものがどっとあふれ、旧来のしきたりや風俗に替わって、見慣れぬ外国の制度や習慣が急激に広がり始めた。僕たちは、外国の物事を見習って、少しは取り入れるべきだと思う。
第一の理由として、取り入れないと壁ができて、社会の壁に置いて行かれてしまうからだ。例えば、横浜港で実際にあったことだが、外国がやっている、コンテナをクレーンで積み下ろすということを、1960年までは横浜港は色々なことがあって導入されなかった。人手が多いため、結果、積み下ろしの作業が非常に遅れてしまって大変になってしまった、という話がある。このように、日本の文化で鎖国のようにしてしまうと、作業が大変遅れて、多くの問題が生じてしまう。1950年代にコンテナに変わったことで、もともと小さい船で荷物を運んでいて、コンテナという鉄の箱に変わったことで、大変運びにくくなってしまう。そこで、クレーンを取り入れたところ、作業がとてもスムーズにいくようになったのだそうだ。それでも、時間はかからなくはないが、コンテナをクレーンで積み下ろすほうが、作業が圧倒的に早くなることは間違いない。そこでようやく、社会の壁というものを超えて、港に入出港するさまざまな船に支障がかからず、作業がスムーズにいくようになったのだ。まるで、日本中が機械化されたみたいに。このように、世界の技術を取り入れることで、作業がスムーズにいくのだ。工場のように。
第二の理由として、自国の良さを見直し、守ってみることも大切だからだ。例えば、自然の大切さの感じ方だ。僕は、自然はとても大切なものだと思っている。例えば、花見を例に挙げてみよう。花見は、桜を大切にする。さくらは、日本を象徴する木といっても過言ではないくらいだ。僕は駒込出身で、駒込は桜の故郷なので、親しむことができる。これが、外国との違いというところだ。外国は、自然を敵だと思っていて、災害がしょっちゅう起こるので、とてもじゃまのものだと思われている。だが、日本はそれとは違い、何事にも神様が宿っている。自然の木や草、桜、スギなど、さまざまなものに神様が宿っているというのが日本の考え方だ。そのため、日本人は、外国人のように自然を邪魔ものとせず、むしろ、とても大切にしているのだ。
たしかに、外国の文化を取り入れるだけでも十分という人もいるかもしれない。しかし、世界と同じように、日本にも、日本の文化というものがある。もしそれがなくなってしまうと、今までの日本の歴史のほとんどが風化してしまうかもしれない。また、日本らしさがなくなってしまうかもしれない。そのために、外国のものを取り入れることももちろん大切だし、日本の文化も残しておくということが一番大切なのだ。「新しいものに飛びつく第一人者となるなかれ、さりとて古いものを最後に脱ぎ捨てる者となるなかれ」というように、新しい物こそ大切だ。でも、温故知新というように、古い物も残しといたほうがいい。僕も、そんな風に、日本の文化も大切にいていきたい。