人間関係

   高2 あうては(auteha)  2026年7月3日

 確かに、人間関係というのは二人以上の人間がお互いに理解し、協力しあっていくための方法であり、また技術でもある。だが、人間の側から見るときには、人間関係はあくまでも個人の成長のために跳躍台だ。人間関係が大事なのは相手と仲良くするためではない。本当の問題はそれが自分の可能性をどこまで跳躍させてくれるかということだ。よく組まれた人間関係というものは当事者同士のピストン運動を活発にし、相互に可能性を開花させうるような関係のことなのだ。人間関係を構築するきっかけが少ないのは問題だ。

 第一の原因は、自らの意思がはっきりと定まっていないことだと思う。私は常日頃から受動的な生き方をしてきた。そして最近自分の行動力のなさが露呈し始めている。小さい頃は、なんでも大人に言われてからやる方向で良かったのが、高校生にもなるとなんでも自分で考え、率先して行動しなければならない。しかし、私はゴールを決め、そのために何をするべきかを考える能力と、その考えに従って行動する力が無いため、手持ち無沙汰になることが多い。部活や委員会などでも、私はただ所属しているだけで、運営はしていないのだが、自分たちで仕事や課題を考えて運営している人たちはすごいと思う。自らの明確な意思もなく、やりたいことも特にないとなんでも受動的に成り、自分から積極的に他人に関わっていくということも少なくなる。そして最近はショート動画やビデオゲームなど受動的な娯楽が増え、自らの意思を持って行動していくことが減ってしまっている。

 第二の原因は自宅が快適になっていることだ。自宅で一人で完結する娯楽が増え、一日中外に出なくても十分満足して過ごすことができる。また、特に今頃の外がとても暑い時期は、涼しい室内から外に踏み出すだけでも億劫で、なかなか外出する気力が起きない。自分も塾に行かなければならないので外出はするのだが、電車を降りてから塾に着くまでの大して長くもないウォーキングでも背中が汗びっしょりになってしまう。そういった原因が積み重なり、結論としてよっぽどのことがなければ自宅にとどまるという選択になる。思えば二年前の夏はもっと外に出ていたのだが、そのような気力は既に消え失せてしまっている。そして、対面で話すことが減ると、人間のコミュニケーション能力はすぐ低下する。期末テストが終わってから終業式までの一週間、私は3日に一回ほどしか人と話していなかった。終業式に久しぶりに学校に行くと話そうとしてもなかなか言葉が出てこない。コミュニケーション能力はすぐ衰えることを実感した。

 確かに他人と関わらない方が自由であり、人間関係の軋轢に悩まされることもない。全てを忘れて振り出しに戻りたいことも人間関係に中では時々起こる。多くの人間と関わっていく中では確かに悪意を持つ人間もいる。しかし、たいていの場合はそうではない。こちらがきちんと接すれば向こうも応えてくれることが多い。鏡で見る自分は反転している。しかし他人からはそのままの自分が見える。他人の客観的な視点は自分のことを自分以上に正確に捉えることができる。人間関係は自身の力を限界以上に引き延ばしてくれる。他人と相互に影響しあうことで、成長の幅は広がっていくのだろう。