私は改めて自分の部屋に(感)
小6 あきらほ(akiraho)
2026年7月3日
私は自分の部屋に入ってみた。昨晩母が片付けたことで快適そうな部屋になっていた。だが一見きれいに見える部屋も引き出しを開ければ散らかっていて、茶番に過ぎない。先生が来る時間が近づくにつれ私は憂鬱になっていった。やがて先生はやってきて母と談笑した後、二人が子供部屋に入ってきた。ごちゃごちゃした引出しを見て先生は吹き出し、私と母は赤面した。私は母の小言を軽く聞き流し外へ遊びに行こうと思って店先に出た。
三年生のある日の休日、突如大人数の友達が私の家に押しかけてきた。私は当時ゲーム機を所持していなかったので、毎日の遊び道具がカプラという木のブロックだった。だが私と違い他の友達はゲーム機を所持しており、「お前積み木で遊んでるのか?幼稚だな。」「だっさ」などと言われそうだなと頭に浮かんだ。そのためとっさにクローゼットの奥にカプラを隠したのだった。そのおかげでその場はやり過ごせたが、私の家にはあろうことかゲームはおろかお菓子すすらなく友達は残念そうな雰囲気をまとわせながら私の家から去っていった。私はなぜカプラを隠したのかについて考えてみたが、私には人から見られたくない一面があり、それを隠したがる傾向があるのではないかと気が付いた。プライベートに他人から首を突っ込まれることは面倒で、気恥ずかしいことなのだ。
父が中学生のころ友達が家に遊びに来た際、とっさに父は自身の英語の参考書を隠したそうだ。隠した理由として父は小学生の間シンガポールに在住していたため、英語の試験では当然高得点がとれるものだろうという周りからのプレッシャーを感じており、重荷となっていたそうだ。本来英語の参考書が部屋に置かれていることは、隠さなければならないような恥ずべき事ではなく、むしろ勉強熱心だと感心されることに値するはずなのだ。父の話を聞いて人はたとえ良い行いであっても、必ずしも見せたいものではない場合があり、評価を気にして自身の立場を笑われないために本だけでなく内面をも隠してしまうのだと思った。
人間にとって日常とは他人に立ち入られたくない扉がある。なぜなら扉をあけ放ってしまうと自分の内面にある隠したい傷が他人に見える。これを防ぐために無意識に扉を作り、自身を守ろうとするものであるからだ。だが一方で、本来の姿をさらすことによって、他人との心の距離感が近づくのではないかとも考える。これから私はこのふとした時に隠したいと思う無意識の内面と向き合い、私自身だけではなく他人の心理も理解していきたい。