ユージーン(清書)

    ()  年月日

 アメリカ、オレゴン州の町のユージーンは東京とは違っている。街のなかに障害者がいることで、人の流れが変わらない街だった。そして障害者と自然にむきあう街でもあった。「障害者に理解を示す」というより、きわめてビジネスライクな対応だ。障害者はずっと同じ一つのことを主張してきたのだろう。障害を一つの属性としてもつ人間を、人間をしてまっすぐに見る。障害者がこの自由をどれだけ阻むかは、その時代の社会が、障害者をどう位置づけ、そのなかで人と人との関係をどうつくっているかで決まる。

 私は障害を持つ人に手を差し伸べていくべきだと思う。例え障害ではなくても、困っている人がいたら手を差し伸べるだろう。例えば、スポーツの試合などで、ファウルがあり相手選手が転ぶときがあるとする。そのとき、ファウルした側の選手は手を差し伸べて、起こしてあげていることが多く見られるだろう。私も、部活動の大会の時にDFに外側からぶつかられ、膝をひねり立ち上がれないときがあった。そのとき、周りにいた選手が心配の声をかけてくれたり、起こそうと手伝ってくれた。その後は、足を冷やし病院に行くことになり、それからの試合に出ることは出来なかった。足が使えないとき助けてくれることでも、同じようなことと言えるのだと思う。

 一方で、障害を持つ人たちが自らの力でやり遂げようとする意思を尊重することも大切だと思う。毎回、オリンピックの後にはパラリンピックがあるだろう。車いすテニスの国枝慎吾選手は、困難にむきあいながら、世界最高峰の選手として活躍している。国枝選手は、9歳のときに脊髄腫瘍が見つかり車いすで生活するようになった。11歳で車いすテニスを始め、パラリンピックでは金メダルを4個、銅メダルを2個獲得しているなどの成績がある。2016年ごろには、けがで思うようにプレーできず、悔しい時期もあったそうだ。リハビリや練習を続けて復活し、2021年の東京パラリンピックでは金メダルを獲得した。さらに、世界ランキング1位を582週間維持するなど史上初の偉業を達成している。このように、障害があるからとあきらめずに、何かをやり遂げようとする気持ちが大事なのだと思う。

 確かに、障害を持った人に手を差し伸べるのも、その人の意思を尊重することも大切だ。しかし最も大切なのは、その人にとって価値のある生活ができるように考え、寄り添うことだと思う。「大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく、どれだけ心を込めたかです。」というマザー・テレサの名言があるように、ただ助ければよいというものではない。障害だけにとどまらずけがをした人や、困っている人の手助けをすることができるようにしたい。お互いに、尊重し合うことが大事なのであって、障害を持っている人が下などの関係も存在しないはずだ。いつも、その人のためと言ってやっていることも、やり遂げようとする力を妨げてる行為になっている可能性もある。だから、その人のことも尊重してむきあうべきだと思う。