清書
中3 あんじゅ(aenoyo)
2026年7月4日
私たちは工業製品に関する新たな視点を得た。それは、そのものに潜在する機能を発現させることが本当の目的であるのだ。我々は日常生活において製品を買って所有するかレンタルで機能を買うかの選択は何気なく行われることが多い。私はモノの所有にとらわれずにレンタルの考え方で生きていきたい。
一つ目の方法に、ものを持つことだけに価値を持たないことだ。私は小学校3年生から5年生の時に、すみっコぐらしなどのキャラクターもののミニチュアを集めるのにハマっていた。すみっコぐらしは、あのつぶらな瞳といつでもすみにいるのが可愛くて好きだった。キャラクターと一緒に部屋も入っていて、繋げていくと大きな家になるというものだった。雑貨屋などで買ってもらい、さらにガチャガチャにあるような家の部屋のミニチュアも集めていた。特にすみっコぐらしのものは8種類ほどで全種類集めていた。電子レンジだったり、オーブンのミニチュアがガチャガチャで出てきていたのだ。熱中して、集めているうちは、揃っていくのが嬉しくて、達成感に近い気持ちを感じた。キャラクターのためにも、ガチャガチャで家具のミニチュアを集めて飾って家のようなものを作っていた。しかし、段々集めて部屋に飾っていくうちに部屋が散らかっているように見え始めた。頑張って作ってた家もボンドで貼り付けてもすぐに取れる。壁がめくれてきてキャラクターにとっても居心地が悪そうに見えてきた。そんな状況で少し放置していたら、年下の子が遊びに来ることになった。すると、部屋に入るなり「私が片付けてあげるわ。」と言われた。それに傷ついて、部屋を片付けることになりミニチュアも片付けた。散らかっている感じがすると、ずっと気になってしまうようになり、片付けたのもある。その後、愛着もある大切のしていた分少し名残惜しかったが、全て捨てた。物を持つだけでは、価値は発生しない。自分の要求を満たしているだけであり、意味がなかった。そのものに、しっかりとした目的や役割があってこそ本来の価値を生み出すのだ。
二つ目の方法は、レンタルのしやすい社会の仕組みを作っていくことだ。最近は、昔に引き続いて、CDやDVDのレンタルはよく見かける。そんな中で、最近新しくできたのはレンタル自転車だ。電動自転車を、コンビニなどで借りることができるのだ。京都市の中でもよく見かけるようになった。返却は、借りた場所と違って、その自転車が置いてある場所に返却できたらそれでよい。16歳以上からしか使えないため、私は乗ったことがない。しかし、私の父がよく利用していてとても便利だと賞賛している。街中では、旅行に来た人が利用しているのを見かける。基本料金で50円、それに追加で利用時間1分ごとに15円払うことで借りることができる。例えば10分乗れば200円かかる。最近は車やタクシーなどを利用する人も増えてきている。そのため自転車を買ってもあまり乗る機会がない人もいるだろう。必要な場合に応じてすぐレンタルできるため便利だと私も思う。社会の中でも、こうして自転車がレンタルできるほど時代が変化してきて徐々にレンタルしやすい仕組みが出来ているのではないだろうか。
レンタルではなくて、物を買って自分のものにすれば壊すなどの不安なこと、衛生面などでも安心できるかもしれない。しかし、レンタルにはレンタルの良さがある。必要に応じて、借りることができて、一時的な要求に答えられる適切なことだと思う。私たちは、その瞬間欲しいと思ってもいざ買おうとなると迷ってしまうことがある。レンタルは、買う値段よりも安くなるし、レンタル期間だけ置いておけば良いため、スペースを占有してしまうことも減る。欲しい時にだけ借りることができるし、便利だ。「買うことによって得られる本当の喜びは、物を所有することではなく、その物がもたらす体験にある。」という名言があるように、物を所有することだけが、本来の目的ではない。物だけが存在してもその物の本来の意味は発揮しない。そこにしっかりと、体験を得ないと意味がないのだ。しかし、それを繰り返しているとお金は無くなっていってしまう。そういう時こそ,レンタルを使って様々なことに挑戦していくことが大切なのではないだろうか。