手助けはいいか(感)
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人間誰もが、されたり、自分がしたりすることがある。それは、手助けだ。人と人の支え合いによって生まれるものである。私も、小さい頃から、沢山の手助けに支えられながら生きている。最近では、グループワークで話す時に知ってる人が誰もいなくて、自分の意見を言いづらかった時に、話を回してくれた人がいた。やはり、この世界は手助けで回っているのではないだろうか。
手助けはいいことだと思う。なぜなら、困っている人を助けるのは、常識として当たり前の行為のはずだからだ。人に手助けされたことで、自分も他の人の手助けをしようと思えるため、優しい心をつなげることができると思う。私も、小さい頃に、バスで、反対方向に行ってしまい、京都の端の方まで行ってしまったことがあった。そこから、バスの運転手さんや、近くにいた方に道を聞いて、地図を書いてもらって、戻ることができた。2時間30分の大冒険だったが、その方々の手助けがなければ、家に帰れていなかっただろうから本当に良かったと思う。本当に困った時の人からの手助けは、心に染みるのである。
一方、手助けが邪魔になる時がある。私が小さい頃、数学のワークを30分ほどかけて、必死に解いていた時、母に答えを言われて、すごくむかついたことがあった。また、机に向かって、宿題を解こうとした瞬間、母の宿題やりやーという一言。母からすれば、宿題をやらないと、後で後悔するのは自分と知っているから、自分に手助けしているのだろうが、こっちからするともうたまらない。やる気をすぐに失ってしまう。このように、手助けをした方が、邪魔になる場合もあるのである。
確かに、手助けには、良い面も悪い面もある。しかし、一番大切なのは、「大切なのは、健康らしい外見でなく、健康自身である」という名言もあるように、今自分がしようとしている手助けは、本当に相手が嬉しいのか、少し考えてみることも大切である。