最近と言っても

   中1 あけさわ(akesawa)  2026年7月4日

 ある言語がそれまで接触のなかった別の言語と接触するようになると、そこに相互の交流が生じ、双方の言語の中に相手の言語によるいろいろな変化の起こることが知られている。いま日本語は、日本の国際化という大変動の中で、外国語、特に英語という強大な言語からの広汎で、しかもほとんど一方的な干渉にさらされている。またの名を言語干渉という。日本があらゆる点で西洋の文化文明を取り入れたにもかかわらず、日本は結局雑種文明の国になることなく、世界に類例の少ない共存文化の国になった。それを可能にした要因の一つは、日本に漢字という便利な言語手段がすでにあったことなのである。私たちは、日本文化のように温故知新の精神で取り組むべきだ。

そのままの形だと、個性が統一されてしまうからだ。お母さんと私は英語の単語の覚え方が違う。例えば両親という意味の「parents」をお母さんはローマ字読みの「ぱれんつ」と覚えるのに対して私はぴー、えー、あーる、いー、えぬ、てぃー、えすという風にアルファベットを覚えてしまう。

 また第二の理由として、進化が止まってしまうことが挙げられる。基本がないと応用は不可能である。先の時代の人たちが培ってきた知恵を存分に利用しないのはもったいない。

卓球の授業でも先生が大きくラケットを振れと指導していたが半信半疑だった。しかし、実際やってみると確かにコンパクトに動くより、大胆に動いたほうが玉の飛ぶ方向が一定になり、台上に収まる確率も心なしか上がっている気がした。他人の言ったことに素直に耳を傾け実践するのも自分に利益をもたらす。

 確かに、自分の技量を信じることも大切だ。しかし、やみくもに自分を信じるのではなく、「自分の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産ではない」という名言があるように自分オリジナルの解釈を作り上げ、それを糧に成長していくことが必要だと思う。