失敗はチャンス

   小6 わかば(akahime)  2026年8月1日

 私は保育園児だった時から低学年くらいまで、よく転んでけがをしていた。坂はともかく、何もないところでも転んでしまうところは謎である。きっと足元をよく見ずに話してしまったりしていたことが要因だろう。今ではあまり転ばなくなってきたけれど、一般的な人の平均と比べると、比較的多いほうだと思われる。

 ちなみに、私は転んだことを大体覚えている。例えば、低学年のときに、レストランに行く際に、転んでしまって見てみると、大量に出血していて、その時に着ていたスカートに黒くなった血がこびりついていたことを、今でも鮮明に覚えている。その時のことを母に聞いてみると、何も記憶に残っていないといっていた。母の方が記憶力が長けていたはずなのに、私だけが覚えていた。自分事ではないからというのもあるのだろうが、それにしても、珍しいことだろう。私は行ったレストランも、その時来ていた洋服も覚えている。しかし、その学年の時にあった嬉しかったことは覚えていない。楽しかったことより悲しかった思い出の方がよく心に刻まれてしまうのだろう。でも、私は人生を楽しんで過ごしたいから、思い返したときに、悲しい思い出ばかり残っているのは悔しい。そして、せっかく人と楽しい思い出を作ったのに、まるで要らない不要物のように、ゴミを捨てるようにぽろぽろ頭からどんどん落としていってしまうのは、もったいない気がする。どうせなら悲しい思い出を捨てて、「楽しかった!」と思えるようにしたい。しかし、なぜ悲しかったことの方が頭に深く定着してしまうのかを考えてみると、動物として生き延びるための脳の構造てきに、楽しみと失敗を比較すると、失敗の方が記憶として重要とされているからではないかということが思い当たった。実際にインターネットで検索してみると、昔から生き残るために、嫌な経験を忘れないようにして同じ失敗を防ぐのだと書いてあった。確かに覚えていれば二度と同じ失敗をしないけれど、何もなかったように忘れてしまうと、改善できない。

 私は三か月前、三年生の時に転んだ坂の同じ部分で転んでしまった。けがの状態もほとんど同じで、片足をひねり、片足から血が噴き出しているという状況だった。先ほど考えたことをふまえると、最近転ぶ機会が減少してきたため、転んだ記憶が薄れてきて、注意力が低下してしまったのではないかと思われる。母は、小学生の時に二度右手を骨折してしまったことがあるらしい。一回目は、自転車で坂道を転げ落ちていってしまったそうだ。そして二回目は一輪車で階段を降りる練習をしていた時に転んだらしい。どちらも似たような失敗である。母は、完全に一回目の怪我を忘れた時に二回目骨折してしまったといっていた。やっぱり、失敗は覚えていることが大事なのだろう。すぐ忘れてしまえば確かに幸せだけど、同じ失敗を何度も繰り返すということだから、ちゃんと覚えていることが大事だと思った。

 失敗はみんな必ずしてしまうことだから、ゼロにすることは不可能だと思うけど、一回おかしてしまった失敗を何度も繰り返すのではなく、覚えておくことで、対策したり、注意したりして、同じような苦しい出来事を減らしていくことができるようになると思う。失敗とは、人を成長させる、助言のようなもので、聞けば価値のあるものだが、耳をふさがれたり聞く耳を持たれなかったりすれば、ただうるさいだけで、何の意味もないものに変化してしまうから、生かすも殺すも自分次第のチャンスである。