命の大切さ
小4 いのはる(inoharu)
2026年8月1日
「ガザガサガサ」
「なんだ。」
「ザッザッザッ」
「ピョン」
「いた。」
学校の帰り道、草の上を歩いているとバッタがぐうぜんにもでてきた。そのサイズはだいたい十センチくらい。とても大きなものだった。
ぼくは、そのバッタのことをかばってやった。ぼくがとってあげなかったら、このバッタは、他の子にふまれていたかもしれない。そう思うと、バッタを助けてよかったと思った。ぼくは、そのあと近くの公園を通るとき、いい子どもをうむんだよ。と言って、にがしてあげた。バッタにとっては、ぼくがひろっていたので急死に一生を得ていたのかもしれない。
ぼくは、実際に虫を家でかったことがある。それはクワガタをかったことだ。二年生のとき、こん虫の授業で、友だちといっしよにクワガタをかった。授業が終わった後、メスを何びきかぼくにわけてくれたのだ。しかし、家でこん虫ゼリーをあげると元気がなくなってきたのだ。さらに、クワガタがひっくり返ったり、水がたりなかったりして、三か月後くらいには、全て死んでしまった。その理由は主に二つある。一つは、その友だちがあげていたえいようがつまった「カグミツ」というのを急にあげなくなったからだ。もう一つは、オスが急にいなくなったことだ。こうびしていたものとはなれたのである。
ぼくはこの虫をつかまえたけいけんを通して、この世の中の生きているものには命があり、けっして転生できるわけでもない、つまり一度しかさずかれない命をあずかっている。つまり親のようなそんざいなのだ。
親しき仲にもれいぎありということばがあるように、人間にとって虫をかうことについて、かっこいいと思う人もいれば気持ち悪いと思う人もいるかもしれない。しかし、虫の命をあずかっているのには、だれがかってもかわりはない。ぼくは、このクワガタの体けんから命をあずかるというせきにんの重さと、命の重さをしっかり受けとめることを知った。
ぼくはこれからまた虫をかうきかいがあるかもしれない。そのときは、軽い気持ちで向き合わず、命をあずかっているというせきにんをもってせっしたい。