痛かった思い出

   小6 あきらほ(akiraho)  2026年8月1日

 「ガンッ 痛いな」

私は家の中で箪笥の角に足をぶつけたり、風呂場で滑ってこけたりしていることが日常茶飯事だ。そのたび「なんで俺はこんなに不幸なんだ?」「何で痛みがあるんだ。神様は人が痛がっているのを見物して楽しんでいるのか⁈」などと心の中で愚痴をこぼす。そして当然のことだが私は外遊びに出ると必ず一つは傷を作る。だから傷の再生が追い付かず、いつも足や腕に擦り傷やあざがあり、友達に「少し遊ぶのをやめたら?」などと心配されることがある。そんな小さな生傷の絶えない私は先日サッカーで大けがをして今も痛みを治すため戦っている。

 五月のあるサッカーの練習試合、私はボールを蹴ろうとして軸足を強く踏み込んだとたん、まるで閃光の如く足に痛みが走った。その日は試合を断念し、後日病院で検査をしたところ骨端線の損傷と炎症があると発覚した。それからというもの週に二回から三回、足の治療を行っており、今に至るまで試合はおろか練習にも取り組めていない。リハビリの先生から圧痛がなくなるまで治療を怠ってはいけないということを告げられ、試合に臨みたいのに出られない無念を味わい心に焦りと痛みが走った。私はさらにけがを悪化させないために、完治するまで足に負担を掛けないという誓いを立てており、日々柔軟などをしてけがをするリスクを最小限に抑えようと努力している。私はこの経験を通して足を酷使し、体を鍛える為だという理由をつけて遊びすぎていたことに反省している。それと同時に痛みを感じることによって、より慎重になり、けがを避ける為の思考が働くようになったと感じる。無鉄砲な子供らしさが次第に消えて大人の思考に近づくのだと思った。

 母は姉を出産する時に人生で一番痛い思いをしたそうだ。陣痛が始まって約十二時間の間、断続的に襲ってくる痛みと戦った末生まれきた我が子の顔を見ると一瞬で痛かったことが不思議と飛んでいき、わが子との初対面で涙が止まらなかったそうだ。だがその三年後に私を出産する時は、あの痛みの恐怖を回避するため無痛分娩を選択した。日本では「お腹を痛めてこそ子供に愛情をもつことができる」という風潮が残っているのも否定できないようだが、母は陣痛の痛みと愛情の深さは全く比例しないと考えているそうだ。ただ、母は「出産の痛み」を経験できたことはなにより人生の経験としての喜びだという。私は痛みとは時と場合によって感じ方が変化するものだと分かった。

 人間にとって痛みとは危険を回避しようとする舵のようなものだ。何故なら

痛みを感じないと傷を負った場所のどこがどのように悪いか判断できなくなり、すぐに直せる傷でも、繰り返すうちに傷が拡がり体が動かなくなるまで動く人形のようなものになってしまうからだ。そして私は痛いと言う事は心と連動して動くものだと気づいた。これからも痛みとは付き合いが長くなりそうなので、痛みの経験をより最小限に抑えるべく、危険の察知と、慎重さを持ち合わせながら痛みという相棒とうまく付き合っていきたい。

「痛いの痛いの飛んでいけ」