手助けは必要か
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年月日
ユージーン(アメリカ、オレゴン州の町) は、街のなかに障害者がいることで、人の流れが変わらない街だった。そして、バス停に車椅子の乗客がいれば、乗り込むまであたりまえのように待っているような、障害者と自然にむきあう街だった。イギリスの児童文学作家、ローズマリ・サトクリフの自伝、「思い出の青い丘」には、歩行の自由を失ったことで「ほかの子どもにはできるある種のことが自分にはできないことが、観念的にしか理解されていない」と記されていた。このことから、私のような障害を持っていない人は、障害を持つ人にどう接してあげたらいいかを考えていく必要がある。
私たちは障害を持っている人に手を差し伸べるべきだ。なぜなら、相手を安心させてあげられるからだ。私は学校の授業で、目の見えない障害を持つ人の体験をしたことがある。その時に行った体験の中で一番印象に残ったのは、目を覆って決められた道を歩いてみる体験だ。周囲にいる人達から指示を出してもらうことができたので、安全に歩けたが、終始転んでしまわないか不安だった。そんな時に、過去の体験を思い出した。横浜駅の中を探検していた時に、白状を持った人が点字ブロックの上を歩いているところを見た。横浜駅は人の流れが激しく大変混雑している場所で、点字ブロックの上を大勢の人が横切っていて、とても歩きにくそうだった。そんなときに私は、「案内しましょうか?」などと声をかけてあげられなかったことを、後悔している。前の自分は初対面の人に声をかける事への恐れがあり、相手のために手助けしようと思う気持ちが弱かった。そのため、この体験を通して、目が見えないと非常に不安で助けが必要になると分かったので、今度見かけたら勇気をもって声をかけてみる。
しかし、障害を持つ人に手を差し伸べないほうがいいこともある。なぜなら、良かれと思って手助けしたことが、相手にとっては邪魔になることもあるからだ。以前、学校で目の見えない人の動画を見た時に、物の位置を勝手に変えられるとどこにあるかわからなくなって、生活しにくくなると言っていた。私は、手助けしてあげたい気持ちが大きかったが、むやみに手を出したことによって相手の邪魔になってしまう事を考えると、相手の気持ちになって行動する必要があると思った。また、自分は目が見えていても、勝手に部屋の掃除をされて、特定の位置にあった物が変えられているとあまり良い気持ちにはならない。そう考えると、障害を持っていてもいなくても、むやみに手を出さないことが最適だと気が付いた。もちろん障害を持っている人は生活しにくい部分もあって手助けが必要になる面もあるが、障害を持っているからと言って特別扱いしすぎるのは相手にとってもよくないことだから、陰ながら見守っていて、助けが必要であればすぐそばに駆け寄り助けてあげるのが大切だ。
障害を持っている人に手を差し伸べることも、あえて手を差し伸べず見守っていることのどちらも大切だ。しかし、一番大切なことは、「できあがった規則をなんとか守ろうとすることよりも、実態に合わせて規則を変えていくことが、真に規則を生かす道である。」という名言があるように、何でもかんでも守ろうとせず、相手をよく見て考える事だ。障害を持つ人だからと言って、守って手助けすると邪魔になってしまう事もあるから、時と場合によって陰で見守るか助けるかの判断をする必要がある。私はこれから、障害を持っている人に限らずどんな相手でも、相手が今何に困っていてどんな手助けが必要かを、よく考えて行動できるようにしていきたい。