子育ての仕方はそれぞれ

   中2 あおなち(aonati)  2026年7月4日

  母親語ときわめて似ていながら非なるものとして、「赤ちゃんことば」という現象が広く流布している。一群の単語は、大人が赤ちゃんに向かって語りかける時に使用される。赤ちゃんことばの現象は分化によって左右され、母親語は分化の違いを問わず普遍的である。赤ちゃんことばを採用した日本式のしつけ方は、当然、日本文化で育つ子どもの性格形成に大きな役割を果たしているに違いない。

 僕の家庭では、休日の予定を決めるときに、子どもの意見を積極的に取り入れて生活している。特に印象に残っているのは、家族で外出する場所を決めたときのことである。

 ある休日、家族でどこへ行くかを話し合った。大人だけで決めるのではなく、「どこに行きたい?」「何をしたい?」と僕の意見も聞いてくれた。僕は、最近サッカーの練習を頑張っていたこともあり、「広い公園でサッカーをしたい」と伝えた。すると、家族はその理由も聞いてくれ、「体を動かして遊びたいなら、公園がよさそうだね」と話し合い、僕の希望を取り入れて公園に行くことになった。公園では、家族と一緒にサッカーをしたり、広場で遊んだりして楽しい時間を過ごした。自分の意見が実際に家族の予定に反映されたことで、「自分の考えを伝えてよかった」と感じた。また、家族も僕が楽しんでいる様子を見て喜んでくれたため、みんなが満足できる一日になった。この経験から、子どもの意見を生活の中で積極的に取り入れることは、子どもの自信を育てるだけでなく、家族の会話や信頼関係を深めることにもつながると感じた。自分の考えを安心して話せる環境があることで、子どもは主体的に行動しようという気持ちを持つことができる。したがって、子どもの目線に合わせて生活することは、子どもの成長にとってとても大切なことである。

 フランスのように、子どもを小さな大人として扱う子育ての仕方にも良さがあると思う。子どもを一人の人間として尊重し、自分で考えて行動する機会を与えることで、責任感や自立心を育てることができるからである。

 僕の家庭では、食事の場面でそのような考え方が取り入れられている。ある日、家族でレストランに行ったとき、僕は何を注文するか迷っていた。すると、親は「今日は自分でメニューを見て選んでみよう」と言った。僕はまだ子どもだったため、最初は「どれを選べばよいのだろう」と不安に感じた。しかし、親は「好きなものを選んでいいよ。ただし、食べきれる量かどうかも考えてみよう」と助言してくれた。僕はメニューをよく見て、値段や料理の内容、食べられる量を考えながら選んだ。そして、自分で選んだ料理を注文した。

 料理が運ばれてきたとき、僕は「自分で決めた料理だ」という気持ちが強く、責任をもって最後まで食べようと思った。実際に食べ終えた後は、自分で選んだことに満足感を覚えた。この経験を通して、親が僕を単なる子どもとして扱うのではなく、一人の人間として考える機会を与えてくれたことに意味があったと感じた。もし親が最初から「これを食べなさい」と決めていたら、僕は自分で考える機会を持てなかったかもしれない。しかし、自分で選ぶ経験をしたことで、判断する力や責任感を少しずつ身につけることができた。このように、フランスのように子どもを小さな大人として扱う子育ては、子どもの主体性を育てるという点で大きな良さがある。もちろん、年齢に応じた支援や見守りは必要である。しかし、子どもに自分で考え、選択する機会を与えることは、将来の自立につながる大切な経験になると考える。

 確かに、日本のように子どもの目線に合わせて意見を積極的に取り入れる子育ては、子どもが安心して自分の気持ちを表現できる環境をつくるという点で優れている。また、フランスのように子どもを小さな大人として扱う子育ては、子どもに自分で考え、選択し、その結果に責任をもつ機会を与えるため、自立心や判断力を育てることができる。この二つの考え方に共通しているのは、子どもを一人の人間として尊重し、その成長を支えようとする姿勢である。マリア・モンテッソーリの「子どもを助けるのではなく、自分でできるように手助けしなさい」という言葉は、まさにこの考え方を表している。したがって、子育てにおいては、子どもの気持ちに寄り添いながらも、年齢に応じて自分で考え行動する機会を与えることが、子どもの健やかな成長につながると思う。