親子喧嘩は必要!

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  人間は他の人間と自由に交わることができる。しかし、自由な人間関係のなかで、一つの例外がある。それは、親子の関係である。しかし、現代は親子という関係が「問題」化してきた。その理由の一つは、変化する社会の中で親と子の経験が全く異質化してしまったということである。かつての育児は、親が子供の頃育てられたのと同じように育てればよかった。しかし、今では親が子どもだった頃とは様子がだいぶ違い、どんなふうに育てていったらいいかわからないのである。乳児経験の段階から、親子の間には、大きな落差がつくられている。

私は、親子の間に問題が生まれても、社会が進歩していく事が重要だと思う。

 なぜなら親の意見もききながら、自分で考えて行動していくことが、自立につながるからだ。私はたまに親子喧嘩をするのだが、親子喧嘩を重ねる中で、親の意見をそのまま受け入れるのではなく、自分自身で考えるようになった。その結果、自分の考えと親の考えが異なる場面では衝突することもある。しかし、そういう経験が自立につながっていると感じた。

かと言って、私たち子どもは親のことが嫌いなわけではない。むしろ心の底から信頼しているし、距離は限りなく近いと思っている。だからこそ、つい自分の正直な気持ちを善悪問わず、表に出してしまうのだ。正直なところ、子は親にすべてを委ねてしまいたいものである。自分で考えるというのは決して楽ではないし、間違えることもある。しかし、いつも甘えている親に流されず、自分の頭で考えていくことが、これからの時代で生きていく、「自分」のためになると思う。社会が進歩すると価値観が変化し、親子の意見が食い違うことは避けられない。しかし、その違いの中で子どもが自分で考える力を身につけることが、社会の発展につながると私は思う。

 また、親子の間に大きな溝ができてしまったとしても、そこには時代の変化があっても変わらない「大切なもの」がずっとあるからだ。かつて、日本の家族構成のモデルケースとして長く使われてきた「標準世帯」。これはかつての日本の「標準的」な家族の形として知られてきたが、現在では、日本での全世帯のなかでの標準世帯の割合は、なんと「5%」にも満たないという。このようなデータから、やはり時代は「変化」しているといえる。しかし、そのような変化があったとしても、決して変わることなく親から子へと受け継がれていくものがある。それは「思いやりの心」だ。分かりやすい例として、「誕生日祝い」が挙げられる。誰にも年に一度、誕生日というものが必ず訪れてくる。あなたの家庭では誕生日を祝うことはあるだろうか。おそらく、祝うスケールは人それぞれ違えど、祝うこと自体は、誰しも経験したことがあるのではないだろうか。時代を遡ってみると、奈良時代に光仁天皇が「天長節」として日本で初めて、誕生日を祝ったとされている。その時から形は変わっても、子供の成長を喜ぶ親の気持ちというのは、親から子へとずっと受け継がれていったのである。誕生日を祝ってもらうと誰しも心が暖かくなる。このような、「思いやり」の精神であり、我が子を思う気持ちというのは、いつどんな時代であっても、継承されていく日本の文化なのである。我々はこの「思いやり」をこれからさらに大切にしていく必要があるのだ。

 親の言うままに行動するのも、親と同じ道をたどるという面では、安心できるかもしれない。しかし、それでは新しい時代についていくことはできないし、それでは子は親の「コピー」となってしまう。社会が進歩していくためには「変化」が重要である。今まで成り立っていた親子関係でなくなりつつある今こそ、改めて時代にあった人間関係の構築について考えたい。