実体験から学ぶ

   中3 あかるら(akarura)  2026年8月1日

 かつての火は、個人レベルで向き合って対処してきたが、社会化された現在の火は、時に個人の知らぬところで暴発する危険性を孕んでいる。だからこそ、私は生きるための知識や知恵を自らの身をもって習得していきたい。

 その方法として第一に、実際に体験することである。本やインターネットといった手段はもちろん便利だが、足を運び、五感を活用するからこそ、生きるための知識が身に付くのだ。例えば学校での宿泊学習が挙げられる。私の学校では中学一年生に富士山周辺で研究活動を行うことになっている。学習内容は三つのコースから選択でき、コースによって行先も異なるが、中でも一か所だけ全員が参加する場所がある。それが富士山の麓の森だった。調査や探険などを経験したが、自然とは美しいものだと思い込んでいたイメージとは全く異なるものだった。街路樹として植えられている植物とは異なり、いびつに曲がった大木や足に絡みついてくる雑草、そして感覚として体験したことのない泥濘がいたるところにあった。しかし、実際に森を探険し、今までに目にしたことのない動植物に出会う中で、いかに自然が繊細でありながらも大きな力を持ってこの豊かな生態系を作り上げてきたのかを身を持って知ることができたのだ。現代では気軽に疑似的な体験を行うことのできる設備が増えている。発達した先端映像技術によって家でゴーグルを装着するだけで本当に体験しているかのようなしているかのような感覚を得ることができる。しかし作られた世界での活動では生きた体験や気づきとはやはり違ったものだろう。だからこそ、実際に自分が経験し、考えたことは自分だけのものであるからこそ価値があるのだ。

 第二の方法として、自然と触れ合う時間の確保が挙げられる。近年では便利な製品に囲まれた生活のためか、「生きる」ということを感じられる体験が少なくなってきているのではないか。例えばオーストラリアのオリエンテーリングがある。これはグループで自然の中を歩きゴールまでたどりつくというものだ。卒業前に実施される学校もあるが、その道中は甘くない。森の中では何が起こるか予測がつかない。危険な虫や動物に遭遇する可能性もある。しかし、生徒達が持つものは危険に対応するための装備と薬だけである。もちろん怪我をしてしまう可能性もあるため、ガイドが巡回し安全を保つなどの対策は行われる。しかし、自ら危機を適切に対処し、乗り越えていかなければならない事態に陥った際には自ずと「生きるための知恵」を習得していく。そのような日常では味わうことのないような経験は生徒の思い出として、そして危機を乗り越えていくための知識としても残っていくのではないか。大人になるということは思いもよらない問題に遭遇した際、考え対処し解決していくということなのだろう。この活動の中で育まれる協力する力や忍耐力、そして立ち向かっていく勇気は大人へ向けて成長していく上で価値を発揮する。これは人生の節目として行うことに意味があるのではないか。

確かに、「自らの身を持って」でなくても習得できることが増えている。地球の裏側で起こっていることでさえすぐに私達のもとに届く時代にわざわざ実体験にこだわらなくても良いと捉える人もいるだろう。しかし、「経験は最高の教師である」という言葉がある。実際に経験することに加え、そこから何を得てどう生かすのかを考えていくことにこと価値がある。だからこそ、生きるための知識や知恵を自らの身を持って習得できる人でありたいと、私は考える。