本物
高2 あかぬり(akanuri)
2026年8月2日
伝統の根をもたぬものは、遊離した存在である。しかし、伝統を超えぬものは真に新しい存在とはならない。新しい存在によって伝統が受け継がれない時伝統は腐朽する。その意味で、明治以来の輸入文化は伝統の根をもっていない。たとえば歌舞伎座のように、木造の様式を保存したいところでは、コンクリートをもって木造の様式だけをまねる。そのため疑似円柱には、木材にある、円柱の表面の張りのある美しさは全く見られない。新しい材料を用いて古い日本の様式を採り入れようとしたものは多くこの種の不自然さと醜さをもっている。今日見られる建築の日本的方向とは、こういう一種の折衷主義である。
現代の日本において、本物を大切にせず、折衷案でとどまっている社会は問題だ。
第一に考えられる原因は、本物であり、本物でなければならない意味を知らない人が多いからだ。僕の家はほとんど全てが天然素材でできている。特に内観はそうだ。床や天井、ドアなどは木や畳、壁はサンゴの石灰岩でできている。なぜその素材が使われているのか、そこを考えることは大切だろう。木材に焦点を当てると、木は多孔質で吸放湿性がある。そのため、湿度が高いときには水分を吸い、乾燥時には放出する。湿度が低いと気温は変わらなくとも、人は涼しく感じる。そして、この特性は日本の気候にとても適している。というのも、日本は夏は湿度が高く、冬は乾燥しているからだ。したがって木材は日本の建築材に非常に合っているといえるだろう。だから、海に飛び込みたくほど暑い今この瞬間も、クーラーをつけず、外からの風と扇風機のみで、僕は作文を書けている。もしこれが、家の建築材が木目の書かれただけの人工素材だとしたらどうだろう。クーラーをつけていないのならば、僕はすでに海の中だ。
第二に考えられる原因は、日本では、消費者がより安いものを選ぼうとする傾向が高いからだ。戦後日本は食糧難を経験した。だからまず、安定して大量の食料を安く供給することを一番に、国が政策を行った。そのため、この時期に形成された、安くて手に入りやすいことがすばらしい、という価値観が規制や消費者の中にまだ残っていると言える。それに対し、戦後欧州では、農家を保護するために、農業政策で多額の補助金を投入したそうだ。しかし、単純な価格競争では、アメリカや発展途上国などの大規模農業には敵わないと踏み、量より質で差別化することを国が推進した。それにより、今も消費者が本物を選ぼうとする志向をもっている。日本でも、戦後から続く意識を変えて、本物にふれるために、質を大切にするよう国が働きかけていくことが必要だと思う。
たしかに、折衷案で妥協せず、本物を求め続けることは、今の現状難しい。しかし、本物とは、偽物や模倣であることを意味するものではなく、それそのものであることにまず大きな意味があるのだ。その意味を見つめ直し、本物をより取り入れていくべきだ。だから、現代の日本において、本物を大切にせず、折衷案でとどまっている社会は問題だ。