自然から学ぶ
中1 ことと(akakoto)
2026年8月1日
作曲に集中しているとき、不意に、音楽というものが、自分の知力や感覚では、捉えようもないものに思われることがある。そんなとき、私は、それを感じた後の無力感に挫けそうになってしまう。作曲という仕事は、どうしても音を弄りすぎて、その音が本来どこから来たかというような痕跡までも消し去ってしまう。先日、高見順賞を受賞された吉田加南子さんの受賞の挨拶が再録されていた。吉田さんは、詩人として歩んだこれまでを簡略に振り返ったあとに、「私は本当は空とか海、木とか葉っぱにとってもお礼を言いたいんです、けれども、残念ながらまだ私は、空の言葉、海の言葉を話すことができません。ですから、そのためにこそ詩を書いてゆかなければならない」と、挨拶を結ばれている。自然から学ぶことはあまりにも多い。自然の、遥かな連なりを見出すのは、私のようなものには、とても容易なことではないが、せめて季節毎の変化の相、その推移を感じとれる感受性を身につけたい。
私たちは、自然から多くを学ぶべきである。
第一の理由として、自然なものは温もりを感じるからだ。コンクリートで造られた家と、木で造られた家では印象がまるきり違う。個人の好みや趣味などもあるだろうが、多くの人が、木の家に対して、温かく丸い印象を抱くだろう。コンクリートの家は、少し無機質で角ばった印象を抱くことのほうが多い。これらは、家具や日用品も同様だと思う。木や自然から取った素材で作られたものは、メンテナンスや丁寧に使えば、何年も使い続けることができる。プラスチックでできたスプーンやフォークは、少し力を入れれば手で容易く折れてしまう。自然から取れたものは、人工的なものよりも温かみや丈夫さがある。私はこれらを大切に感じていくべきだと思っている。
第二の理由として、自然からしか得られないものがあるからだ。実際に、とある調査で、森林浴をすると免疫機能が五割前後向上し、その効果が四週間後まで二割程度持続していることが判明している。私たちは、場所を選ばず、外にいる限りたくさんの情報を受け取っている。都会では、車の音、人の話し声、ビルについている広告……森や川、植物が豊かな場所中にいる時は、聴覚の情報として小鳥のさえずり、川や葉の音。視覚の情報として、ほとんどが植物という優しい情報ばかりである。効果だけでなく、物理的ではない情報も、その場所でしか得られないものと言えるだろう。
確かに、自然を感じなくとも生きていける。人工的に作られた道具たちは便利なものがたくさんある。しかし、便利な道具を作る前に、生活の中で自然から学び、それを大切にし、全てに生かすということを忘れてはならない。