比較による自信

   高1 蜩(aeriya)  2026年8月1日

 かつてフロイトは、二人種間の違いが実際には小さければ小さいほど、その差は想像のなかで不気味に増幅されていくと主張して、この現象を「微差のナルシシズム」と呼んだ。だとすれば、その当然の結果として、彼らは相手との比較においてしか自己確認できなくなるはずである。部外者はみな、セルビア人とクロアチア人の違いにではなく、ほとんど見分けのつかないことに驚かされる。そこで、双方の民族主義派の政治家たちは、「微び差のナルシシズム」を利用し、とんでもない作り話をこしらえた。自分たちはなんの非もない犠牲者であり、相手側は民族虐殺の殺人鬼だというのである。こうした、言葉による事前の煽り立てが、共生関係を切り崩し、やがて現出する殺戮世界の下地となっていったのだ。私たちは、相手との比較によって自己確認をするべきではない。

 そのための第一の方法として、自分に絶対的な自信を持てる部分を探し出し、確立することだ。例えば定期テストで思うような点をとれなかったとき、ほかの人の点数を見て安心しているだけでは、いつまでも何ひとつ成長しないまま自分より下の「弱い者いじめ」をし続けることになる。しかし、自分が誰と比較しなくとも、「これだけは、絶対に誰にも負けない。」というものがあれば、相手を下げて自分をあげるような比較をしなくてもよいのだ。私の場合、学校で学ぶ教科の中では数学が最も苦手だ。逆に生物や地学など同じ理系でも好きで、得意な分野はある。わたしはこの生物と地学の方面を目指している。そのためには数学は必須である。私はこれからの大学受験に向けて、数学を特に努力しなければならない。そのため、数学に関しては下など向いている暇はない。常に上を目指していかなけらばならないのだ。このように、自分の自信のある分野がモチベーションとなり、苦手な分野でも努力していけるようになるのだ。ここから、自分の絶対的自信を持てるものを見つけることだ。

 敵を無理やり想定しなくとも済むように国や団体の内側を安定させていくことだ。自分たちの目の前に一人では到底かなわないような巨大な脅威が現れた時、人というのはそれぞれが身を守るために、とてつもない団結力を発揮する。これは素晴らしいことだが、時に権力者というものは、これを利用してよからぬ方向へ動かそうとする事がある。たとえば、国民は国内で多くの問題が露わになったとき、国民は大きな不満を抱く。このような時、国の上層部はこれらの問題から目をそらさせるために、いないはずの仮想の敵を生み出し今までの問題はすべてその敵が原因のものとするのだ。すると、前述のとおり国民は盲目的にそれにのって、結束力を高める。これの代表例はやはり第二次世界大戦でのナチスドイツだろう。その頃のドイツでは、とんでもない物価高がおこり、失業者も続出していた。外国への敵意大きかっただろう。また資産家が多いユダヤ人への反感も大きくなっていた。そんな中登場したナチスは外国やユダヤ人を敵とし、自分たちの民族が頂点だという考えをしめした。これに国民は感動しとてつもない結束力をみせた。このように、国内が安定していなければ、敵を無理やりにでもつくって結束力を高めようとしてしまうのだ。

 確かに、相手と自分を見比べて、自分を見つめなおすことや欠点を探し改善することは大切なことだ。しかし自分のことを棚に上げて相手をただ批判して自信をえるだけでは、それはただの自己満足でしかなく、何も得意味のない時間の無駄である。真の自信とは、相手を下げて自分を上げるような成長しない沼ではなく、誰と比べずとも自分のプライドを持てるようなものである。ここから、私たちは相手との比較によって自己確認をするべきではないと考える。