アウフヘーベン

   中1 あきえや(akieya)  2026年7月4日

 ある言語がそれまで接触のなかった別の言語と接触するようになると、そこに相互の交流が生じ、双方の言語の中に相手の言語による色々な変化が起こる。今日本語は、日本の国際文化という大変動の中で、外国語、特に英語といいう強大な言語からの広汎で、しかもほとんど一方的な干渉に晒されている。日本があらゆる点で西洋の文化文明を取り入れたにも関わらず、日本は結局雑種文化の国になることなく、世界に類例の少ない併存文化の国になった。それを可能した要因の一つは、日本に漢字という便利な言語手段がすでにあったことなのである。私たちは、日本文化のように、自分なりに消化して、物事を取り入れていくべきだ。

第一の理由として、取り入れねば成長ができないからである。中学校生活が始まってから数ヶ月、小学校ではなかった部活が本格的にスタートした。楽しいという気持ちがある反面、大変だと思うこともしばしばある。最近になると、3年生の先輩方が試合を終え、引退していく人が多い。そうなると私たち一年生は、ラケットを持ってボールを打ってみたり、フォームを作ってみたりと新しいことが多くなってくる。よくラケットの面裏が反対だったり、握り方が違っていてボールが変な方向に行ってしまうことがある。そういう時は2年生である先輩が緑のマークを上にして持つ、ラケットを持つときは必ず1番下を握ること、添えるようにして持ち、親指は手のひらの中に入れないことなどというだけじゃなく一緒にやってくれたり手で動きを確認してくれるのだ。やはり、初めての経験なのだから間違えてしまうことも多少出てくるが、それで諦めたり、アドバイスを聞き流して自己流で突き通すのではなく、初心にかえってアドバイスを受け入れ挑戦してみるといった練習が必要になってくると思うのだ。全くの偶然で、できていたとしても根本的に自分を見直し助言を受ける事でさらに上達していくと考える。

第二の理由としてオリジナリティが養えないからだ。日常に欠かせないものとなっているSNSでは、日々情報が発信されている。その中で最近目にするキーワードとしてパクリというものがよく出てくる。パクリとは、他人のアイデアやデザイン、文章、音楽などの創作物を無断で盗用し、自分の作品のように見せかける行為のことである。絶対にやってっはいけないことであると思うし、今回のテーマで考えてみれば何よりオリジナリティや個性は見えてこないだろう。有名な人の作品をただ単にコピーをして投稿するよりも自分で考えて作ったものを投稿する方がよっぽど価値に関しても変わってくると思うのだ。

確かに、自分の考えを貫き通したりすることもこの後に及んで大切なことだと言えるだろう。しかし、自国に対する賞賛が他国に対する軽蔑によって支えられているものであってはならないという名言があるように他人である意見を尊重しつつ、成長していくことが大切だと分かった。