「優れている」とは何か

   中3 あかるら(akarura)  2026年8月3日

 「刺激的な本」は想像のエネルギーと新たな道のできるチャンスを与える。これは本に限ったことではない。優れた指導者の元ではただその素晴らしさの賛嘆にとどまる。優れた師匠の門下から必ずしも偉才ばかりが輩出されるわけではないのだ。私は、優れたものから一歩離れて生きていきたい。

その方法として第一に、自分にできることを追い求めることだ。優れたものに従うということは、自分の力が分かる前にその人の意見が入ってしまう可能性があることを心に留めておくべきだろう。私の場合、中学一年生での学校生活が当てはまる。期待と不安を胸に入学した中学校には「何でもできる人」が多かった。新しい環境でも安定した成績を取り、堂々と意見を述べる姿は憧れだった。一方私はと言えば小学生の頃と異なり手応えのない日々が続いていた。そうして訪れた夏休み。私はできる全てのことに取り組んだ。数学に力を入れようと、基礎が確立していないにもかかわらず、友人達が挑戦していた高学年の数学に手を付けた。詰め込んだ計画を立て、二学期の自分が友人達のように学びを充分深められることを目指していたのだ。しかし結果は異なった。ほとんどが中途半端に終わったのだ。これは憧れの気持ちだけで漠然と取り組んだ結果だろう。目の前に課題があるときこそ、自分の「好き」を磨くことが成功の第一歩になることを初めて実感したのだった。漫画家のさくらももこは「がんばっているケンタはえらいなー、でもケンタはケンタで私は私なのだ」と残している。ケンタとは元サッカー選手の長谷川健太さんであり、さくらももこの同級生でもある。それぞれにできることは限られている。だからこそ、何が強みなのかを考え、磨くことが次の世界への扉を開くのではないか。

 第二の方法として、優れたものが全てではないと考えることだ。「優れている」とは何だろうか。それを考える一例として、パソコンにおける購買戦略が挙げられる。アップル社のMacとマイクロソフト社のWindowsは市場で競っていた。技術面を見ればアップル社の製品は格段に優れており、美しいデザインやグラフィック処理の高さを武器に売り上げの伸ばし方を模索していた。しかし、Macは現在のおいても根強い人気はあるものの、今ではマイクロソフト社のWindowsが9割以上のシェアを誇っている。Windowsももちろん技術的に優れていたが、Macとの比較において差があった。しかし、マイクロソフト社は戦略に力を入れていたのだ。彼らが始めたのは他企業に向けたOSの解放という措置だった。これによって多くの企業がマイクロソフト社の製品を取り込んだパソコン開発に力を注ぎ始め、パソコンの価格帯と選択肢を広げるきっかけを生んだのだ。アップル社は性能にこだわる分、価格が高い。一方、Macに比べ値段を抑え、且つ性能を保ったパソコンの需要に目を向けた企業の作戦はまさに「優れている」と言えるだろう。それぞれの文脈の中で「優れた」の意味は異なる。ある一つの「優れた」への過度の固執は視野を狭める。今素晴らしいと思われている人や物にこだわらず広い考え方で周りを見渡しても、そこに光る原石のアイディアは落ちている。価値の見出し方が全てを動かすのだ。

 確かに、優れたものから刺激を受けることは、良い変化に繋がるのかもしれない。しかし、「誰かのために自分を犠牲にするな。自分自身の光で照らせ。」という言葉がある。自分が新たな道の開拓者になると考えることで自分と世界の見方は大きく変わる。だからこそ、優れたものから一歩離れて私は生きていきたい。