ユーモアとふざけ
小6 あきうい(akiui)
2026年8月3日
イギリス人は、「ユーモアのセンス」と言うものには特別のプライドを持っているし、また、それについて敏感である。日本人は、「人間真面目に、一生懸命に働くのが一番だ」と言う言葉の方が、説得力を持つのではないだろうか。ユーモアというものは、ユーモラスと感じるか感じないかというセンスの問題になるわけだ。
五年生の時、まるで鬼のような先生が担任になった。その先生は廊下で冗談を友達と言い合いながら歩いていると、説教十分コースだ。しかし、そうなる時とならない時がある。多分、説教コースの時は機嫌が悪い時だろう。怒るか怒らないかどちらかにしてほしい。他にも苦情がある。私たちの学校は道徳の授業でみんなの机を動かしてコの字型にしなければならない。黒板がコの字のあいている部分に来るようにする。ふと前を見ると、向かい合っている机の人と目が合ってしまう時がある。それを先生に見つかってしまうと、必ず授業まるまる使っての説教である。五年生の時はこれまでの学年と比べてクラス内で楽しいと思うことは少なかった気がする。この通りユーモアなんてかけらもない先生だが、いいところもあった。私たちが五年生だった時の六年生と一緒に合唱コンクールの練習をすることがあった。音楽の先生が「六年生と五年生のうたは同じくらいの実力だけど、やる気は五年生の方が多いね。」と褒めてくれた。今考えると、五年生の時は担任の先生以外に怒られたことはない。
六年生になると担任の先生で学級の雰囲気がガラリと変わった。前の学年ではカチコチしたまるで大事な会議の途中のような空気だったが、今は同窓会のような柔らかい空気になっている。たとえば、廊下でグリコをしていたら先生も入ってすると他の学年の子も入って一緒になって遊んでくれる。また、授業で自由に発表できるようになった。間違っても大丈夫みたいな雰囲気になるからあまり手をあげるのが怖くない。特に社会の授業で、先生の昔の話をしてくれる。石器時代の話を習っているとムードーメーカのような人が「先生って石器時代くらいに生まれた?」とふざけると「その時はご飯が信じられないくらい自然って感じだったよ。」と冗談で返してくれる。しかし、そのような授業を受けていると他の先生の授業で困ったことが起きてしまった。音楽の授業のうちに普段のようにふざけてしまったのだ。先生が「授業をやめる」と怒らせてしまった。さっと血の気が引いていくのがわかった。みんなで謝りに行って担任の授業と他の先生のユーモアの基準は違うと気が尽かされた。
ユーモアはあると楽しいが、ユーモアかふざけているのかそれを判断するのは自分じゃないからその人にとってユーモアがある楽しい人になりたい。