複雑怪奇な科学に

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 科学が人間にもたらすものには多かれ少なかれ必ず明暗両面が存在する。前世紀末のダイナマイトの発明者ノーベルの苦悩に象徴されるように、これは決して最近始まったことではない。しかし、過去数十年の科学技術の進歩はあまりにも速く、人間と社会とに軋轢を生じてきている。不可能が可能になり、また、より多くのことが明らかになってきた一方で、ものごとの本質は単純ではなく、シロかクロかを言い切れないことも明らかになってきた。そんな複雑化された科学の進歩に私たち人間がついていけないのは問題だ。

その第一の要因は、科学の成果には堪能するものの、科学については無知同然であることだ。

昨今、一撃が走るような最新技術の誕生といえばやはり人工知能ではないだろうか。これらによって、仕事の簡略化だけではなく、私生活の相談や助言など私たち人間の生活に深く入り込んできている。誕生からままならないのにも関わらず今日の社会において必要不可欠な存在へと地位を気づいた。日々、人工知能の恩恵をうけて生活し、過去の煩雑で骨が折れ、手数を要する作業から解放され現代人はさぞ、自分たちを優れた生き物であると思っているのではないだろうか。人工知能の製作者がこのように思うことにはかなわないが、使用者の大半が人工知能の仕組みについては皆無である。その仕組みを理解できないようでは、科学の成果に圧巻されてしまい、本来科学を操る立場ではなく、人間がいいように使いまわされることになってしまう。

第二の要因は、若者の理科離れである。

この若者の理科離れを加速させているものは、他でもなく日本の暗記を中心として教育である。小学校時代は理科が好きだといっていた子が、中学生頃から敬遠するようになり、高校では多くの学生が文系を選び、理科とは縁のない道を進む。それには、やはり理由がある。小学生の理科の授業は、主に実験や観察など体験的学習であるのに対して、中学、高校へと進学するにつれて体験的学習より机上でただひたすら知識を詰め込むということが多くなってくるからだ。そんな状況下に置かれると、どうしても理科に対して嫌悪を抱くことは避けられない。若者の理科離れを阻止するためには、理科に物語性を含むことであると思っている。私たち日本人は、科学の成果より、成功するまでの過程でうまれたドラマを待望しているのである。この科学を巡る物語を活用することが、科学に対する悪印象を変えてくれるのではないだろうか。

確かに、複雑化している科学を万人が理解できるようでは、新しく発見、発明されたものに対しての感動がなくなり、これまで築き上げた科学の崇高さが失われてしまう。しかし、今や科学は知識や学問ではなく、技術と密接な関係をもつ科学技術という新しい概念へと変ったのだ。そのため、これまでのように科学にたいして無知同然では許されないのである。私たちは、科学技術という新しい概念と共存するためにも、雨が降ろうが槍が降ろうが複雑怪奇な科学についていかなくてはならない。