荒木博之のあげた(感)

   高3 あいらう(airau)  2026年8月2日

 日本人に顕著な集団への同調行動は、何も小学生に限ったことではない。日本人に特異だとされる集団主義が、はたして個人の集団、組織への投入や隷属を意味するものなのかどうか、よく吟味することが必要であろう。日本人の集団主義は、成員の組織への全面的な帰服を指しているのではなく、他の成員との協調や、集団への自発的なかかわり合いが、結局は自分自身の福利をもたらすことを知ったうえで、組織的活動にコミットする傾向をいうのである。このままでは、日本人は自分の意見を言わなくなることが予測される。

 その原因としては、周りに合わせる傾向があることだ。今、学生や若者の間で冷笑が流行している。冷笑とは、相手の発言に対して嘲笑い見下すことであり、最近になって急激にSNSで見かけるようになった。これは、SNSにおいて、他人に対して少し距離を置いて皮肉る投稿が広まりやすくなり、共感を得やすくなったことや、自身が挑戦して失敗をするよりも最初から冷めた態度でいるほうが傷つきにくいことが要因だと思う。この冷笑は私の通っている高校でもかなり増えており、主に幼稚舎出身の生徒が多用している。彼らは発言力が強いため他の多くの生徒は冷笑されないために周りに合わせておとなしくしている。多様性を売りにしている我が校で、周りの目を気にするあまり自己主張ができないのは理念に反している。このように周りに合わせてばかりだと意見が少なくなってしまうのではないか。

 その対策としては、立場や価値観の違いを恐れず話し合える環境を整えることだ。その代表例が国会である。国会には免責特権があり、議院で行なった演説、討論、表決について、院外で責任を問われないと定められている。国会には与党と野党など異なる意見や立場を持つ政治家が集まっており、反対意見を出し合うことでひとつの意見だけでは見つけにくい問題を見つけるために定められた。さらに、実際の国会では、ニュースで見るように政党間の対立が激しくなることが多いことも定められたきっかけである。しかし、このような意見をぶつけ合わせることが可能な環境は身近にはめったにない。そのため、学校教育でグループ活動を増やすなどの工夫をして、国民全体が意見を言えるように育むべきだろう。

 確かに、時には自分の意見を控えなければならないこともある。しかし、集団とは、少数がまとめるものではなく、全員で意見をぶつけ合わせて形成されるものだ。にもかかわらず、このままでは自分の意見を言わなくなってしまったら問題だ。