想像力と本

   小6 あけしよ(akesiyo)  2026年8月4日

 本を読むというのは、そこにあるものをこちらに運ぶような機械的な作業ではなく、場合によっては、作者の意図をこえて、我々の中に何かを作り上げていくことだと筆者は考えている。それに加えて、幼い日に読んで血を沸かした本が、後年読み返してみると、つまらなかったということはよくあると述べている。しかし、砂時計を手にとってひっくり返すように、ある時からは、また新しい砂が積もりだすものだと主張している。筆者はこういった読みに耐えられるのが古典だと主張する。その理由は「この本が読めたら。」と足ずりしたくなるからだと筆者は述べている。それが筆者の読書なのだ。

 僕は、一、二年生の頃、漢字があまり読めなかったので、自分で適当に読み方を考えて読んでいた。とくに、僕の大好きな折り紙の本は、、難しい漢字や専門用語が多くあり、まったく読めないこともあった。しかし、それでもなんとなく意味が分かっていたので、完成することができた。昔は、想像力と補う力がすごかったと思う。

 字が読めるようになってから、僕の読書は大きく変わった。僕は、色々な本を読んでいるうちに、ただ文字を読むだけでは物足りないと感じるようになった。文字には現れない心情があるように感じたからだ。いつの間にか僕は、文字からその時の様子を頭の中で想像していた。その時は、まるで、自分が本の中に入ったような気分になるのだ。

 本とは、文字が読めても読めなくても、想像力を働かせて読むものだと思う。それまでの体験やその時の心情が、本を通して頭の中に現れる。つまり、人間にとって本は、自分を振り返ることができるアルバムだ。その時の年齢などで、同じものを読んでも、読み方が全く違ってくるからだ。もし、一年に一回その本を読めば、その時に感じる内容が全く違うかも知れない。だから、0歳から百歳まで同じ本を読んでも、違う本を百冊読んだのと同じになると思う。作者が言うように、本を読むことによって、我々の中に何かを作り上げていっていると同時に、これまで作り上げたものを振り返っているのだ。