伝統に対して社会があるべき姿

   高2 あきしお(akisio)  2026年8月2日

 伝統とは、循環によって生み出されていくものである。時代に合わなくなった伝統が新たなものに取って代わられ、それがやがて新たな伝統となる。例外はあるにせよ、言語にも同じことがいえる。絵からヒエログリフへ、石板から紙へと、人々は時代に合わせて、それまでの方法では対応できなくなったものを淘汰し、新たなものを生み出してきた。しかし、現代では、スマートフォンの機種を変えるように、まだ十分に使えるものや、必ずしも時代に合わなくなったわけではないものまで、新しいものへと置き換えられている。つまり、「新しいものが伝統を乗り越える」のではなく、「新しいものが古い伝統に取って代わってしまう」ことが問題なのではないだろうか。私は、その背景には二つの原因があると考える。

一つ目は、日本社会が急速な変化と発展を経験してきたことである。明治維新や高度経済成長期には、新たな技術や価値観を積極的に取り入れることで、日本は大きく発展し、世界的な地位を高めてきた。この成功体験があまりにも大きかったために、「新しいものを取り入れることこそが正しい進歩である」という考え方まで、当然のものとして受け継がれてしまったのではないだろうか。私自身も中学生のころ、因数分解が大の苦手であったため、できるだけ考える手間を減らそうと、解の公式を多用していた。しかし、それは長くは続かなかった。解を出すためだけに、かえって二倍ほどの時間を使わなければならなかったからである。このように、新しい方法だからという理由だけで無条件に取り入れてしまうことには弊害もある。そして、これが集団となれば問題はさらに大きくなる。個人であれば、失敗に気づいた時点で以前の方法に戻すことができる。しかし、社会や組織では、新しい制度や技術を導入するために多くの人や資金が動き、それを前提とした仕組みまで作られる。そのため、一度取り入れたものが適していないと分かっても、簡単には元に戻すことができないのである。

二つ目の理由は、人々が新しいものを「便利さ」や「形」だけで評価するためである。ここでは、抹茶を例に挙げたい。現代の商品には、「抹茶」や「抹茶風味」といった言葉が使われているものが数多く存在する。しかし、コンビニで売られている「抹茶味」の商品は、必ずしも本来の抹茶そのものを表しているわけではない。緑色をしている、あるいは抹茶に似た味がするという理由で「抹茶」と名付けられているものも多いからである。そこでは、抹茶が長い歴史の中で培ってきた茶の湯の文化や、侘び・寂びといった精神性は切り離され、色や味といった表面的な特徴だけが利用されている。 これは人々が本来あるべき形を軽視し、手軽にそれに似通ったものを得れるという理由で商品を求め、会社も求められていった結果、本物の抹茶は市場から追いやられてしまった。

もちろん、古いものに固執すれば、社会の発展を妨げるという意見もあるだろう。実際、時代に合わなくなったものまで残す必要はない。だからこそ、伝統を守るとは、古いものをそのまま残すことではなく、その価値を見極め、必要なものを次の時代へ受け継ぐことだと私は考える。新しいものを無条件に受け入れるのでも、古いものに固執するのでもなく、両者を選び取っていく。その循環によってこそ、伝統は未来へ受け継がれていくのではないだろうか。