文化を考える
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年月日
「食べられる」か「食べれる」か。後者の用法は許されるか否か。いわゆる「ら抜き言葉」に関心が集まっている。しかし、この関心には偏りがあり、「ら抜き言葉」をめぐる落差と断絶が進んでいる。まず世代間の断絶が背景にある。若者の造語に旧世代はついていくことができず、同世代にしか通用しない隠語がまかり通っている。根本には、言語観の違いも横たわっている。そもそも言葉は変化していくもの、という考えに対して、何らかの規範でもって維持していく必要がある、との考え方もある。言葉の原点に戻って幅広い分野で議論を重ねることにしよう。
時代の流れに任せて、文化や言語は変化していくべきだという考えがある。私は、この考えがある理由の一つとして、新しいものが絶えず開発されていくことで生活が便利になるからだと思う。例えば、手紙は古くから人々の連絡手段として使われていたが、今ではLINEや、メールでのやりとりがほとんどとなっている。LINEやメールは手紙に比べて、すぐに相手にメッセージを伝えることができ、便利だからだ。私も、中学校に入るまではスマホをもっていなくて、なにか友達に話すことがあれば直接会わなければいけなかった。その頃は、とても不便だと感じていたため、時代が進んでいくうえで新しく開発されたものを生活に取り入れることで、便利で過ごしやすくなるのではないかと思った。
反対に、古くから続くものや文化は維持していくべきだという意見もある。私は、和食は私たち日本人にとって大切で、守るべきものだと思う。ユネスコの無形文化遺産に登録されていることもその理由の一つだと思うが、なにより、和食は日本の食卓をずっと昔から支えてきているからだ。高度経済成長期を経て、外国の文化や食が普及している今、昔から続く日本の食文化はより貴重なものになっていると感じる。時代が進むにつれて新しいものが多いのも便利でよいが、和食のように、昔から続いてきたものがなくなっていくのはもったいないと思った。
時代の流れに任せるべきだという考えも、昔の文化やものはずっと維持していくべきだという考えも、どちらもよいと思う。しかし、一番大切なのは、文化や言語に人々が親しみを持てることだと思う。私が少し前に読んだ長文で、文化的カプセルの話がある。それは、日本人は自分の文化と他の人の文化に壁を作り、自分や同じ文化を持つ人だけのカプセルに入り込んでしまって、なかなか出てこない、新しい文化を吸収することがない、という話しだ。私は、この話と、今回の二つの考え方から、異文化を取り入れても、取り入れなくても、これから変化してもしなくても、自分の国や自分の文化らしさがあることを忘れないことが大切であると考えた。そして、その文化を好きであることが、その文化がこれから存在していく「意味」であると思う。だから私はこれから、まずは文化について理解するために、自分の国にはどんな文化があって、どのような状況にあるのかを知りたい。