「食べられる」か
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年月日
「食べられる」と「食べれる」という、この2つの言葉で、後者の用法は許されるか否か、またはそのようなことを公に議論すること自体有益かどうかといった、いわゆる「ら抜き言葉」に関心が集まっている。第二十期国語審議会からの報告には、敬語や方言問題、情報化をめぐる問題など多岐にわたっているのに対し、「ら抜き言葉」が際立って注目されたのは、それらをめぐる意識の落差と世代間の断絶があるからだろう。また、根本的に、言葉は変化して自然に淘汰されるものといった考え方と、美しい言語が基礎であり、それらを維持する必要があるといった考え方など、言語観の違いもみられる。しかし、国語政策の中核を占めていた時代とは様変わりしている今、時代の変わり目で私たちの言葉をどうしていくか、各自が考えていく必要があるのだ。
社会の様々な分野の産業が飛躍的な向上をみせる現代で、新しいものが出てくるのは当然である。情報技術関連であれば、ジェミニやチャットGPTをはじめとする生成AI、店舗運営のスタイルではセルフレジや無人販売など、現在は過去になかったような目新しいものが次々と登場する時代となった。実際に私も、友人から「スターバックスの新作がおいしい」や「このブランドから新しく発売されたコスメが良い」などとよく聞いているため、新しいものに出会う機会が多い。多くの人々が「新しい何か」に興味・関心を抱いているのは間違いないだろう。私たちの生活がますます豊かになっているのは、こうした「新しい何か」が根幹に関わっていると考えられる。そして、この変化が生活や社会を支え、有益な効果をもたらすのと同時に、次世代へバトンを繋ぐ基盤となるのだ。身近な例としてはIH調理器が挙げられる。IH調理器は2000年代から家庭へ広く普及し始めた調理器で、電磁誘導を利用して食材を加熱する。これは磁力を利用するためガスを使用する必要がなく、安全性が高い。そのため、火事のリスクを抑えられるメリットがある。そして、このIH調理器はさらなる発展が見込まれている。それは、レシピアプリやスマホ、換気扇と通信でつながる開発が進んでいることだ。この機能が導入されれば、アプリからレシピを選ぶと自動でその料理に最適な火力と時間で調理が可能になり、また換気扇と連動して風量を自動調節し、家全体の省エネにつなげることもできるのだという。このように「新しい何か」の登場と発展は、それまでの問題を解決し、螺旋的発展ができる力を秘めていると推察できる。数多い焦眉の課題がある今だからこそ、新しい技術や新しい生活様式を取り入れば、大きな利益をもたらすに違いないだろう。
一方で、古いものを尊ぶことも大切だ。古いものの例とすると、伝統的な建造物や文化が挙げられる。現在、古都である京都や奈良は国内問わず、海外の観光客からも人気を博しており、近年のインバウンド効果で観光客数が増加傾向にある。京都というと清水寺や金閣寺、奈良というと東大寺や薬師寺を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。また、文化と言えば京都は祇園祭や西陣織、清水焼が挙げられ、奈良は高山茶筌や柿の葉寿司が有名である。これらは、いずれも1000年前後、あるいはそれ以上前からずっと継承され続けてきたものだ。しかし、観光客が増加するにつれて、寺社仏閣での落書きやマナー違反による損傷など、文化財の損壊が目立ってきているのだという。そのため、立ち入り禁止エリアの明確化や拝観時間の予約制を導入するなど、様々な対策をうっている。その結果、混雑を避けた静かな時間帯での観光が可能になり、マナーの改善もみられるようになったそうだ。ここで、人々が目を向けたのは「日本古来の伝統を守る」視点ではないだろうか。なぜなら、「新しい」という特性だけに執着してしまうと、古くから人々が積み上げてきた伝統の良さが失われると考察できるからである。人間にとって「新しい何か」を発見する感覚は、脳に対する心地よい刺激を与え、強力に人を引き付ける力がある。しかし、その感覚ばかり求めていれば、昔からの風情ある日本文化の良さを見失ってしまうに違いない。また、古いものの保存のみならず、人から人へ継承することも大切だろう。継承すれば、人々や地域のアイデンティティを育め、「ゼロから作れない価値」を大きく活用できるメリットが生まれる。「新しいもの」のさらなる発展に全力を尽くすだけでなく「古いもの」を守るともに、後世へ継承することも私たちの使命なのではないだろうか。
確かに、新しいものを導入するのも、古いものを重んじて継承することも必要だ。しかし、「カメラマンは、レンズのほこりを払うまえに目のほこりを払わなければならない。」という名言があるように、一番大切なのは、単なる新旧に縛られずに物事を客観的に捉え、時と場合に合わせて物事を最大限生かすことではないだろうか。この視点を持てば、「新しい何か」を模索して発展したものと「古いもの」を重んじて継承すること、それぞれの良さの枠を超えて、さらなる可能性を見出せるのではないだろうか。