ユーモアについて

   中1 みうじん(asamiu)  2026年8月4日

 「ユーモアについて」

「私たちイギリス人は、『ユーモアのセンス』というものには特別のプライドを持っているし、また、それについて敏感である。」国民性の違いと言ってしまえばそれまでだが、日本では、ユーモア感覚は、それほどまでには高く評価されていないようだ。ただ、ユーモアというものは、論理で解釈できるものではなく、それを受信する感性の装置を備えているかどうかなのだ。ユーモアというものはユーモラスと感じるか感じないかというセンスの問題になるわけだ。

 自分は、テレビでよくお笑い番組を見ている。新年の番組とかグランプリなどは特にユーモアがあって面白い。お笑い番組でいろいろなコンビが出てくるときにコンビ名が変わったものが多くて面白い名前だ。食べ物の名前のコンビや、文房具の名前のコンビ、そしてこの世に思いつかなかった面白いコンビ名など、様々なコンビが出るたびにその名前を覚えたくなる。中にはもうコンビ名自体から面白さが伝わってくる名前などもあった。お笑い番組も面白さがあっていいなと思った。コンビ名は、ただ二人を区別するための名前ではなく、それだけでそのコンビの雰囲気を表していることもあると思う。名前を聞いただけで「どんな人たちなのだろう」と興味を持つことができるところも面白いと思った。ぼくは、お笑い番組というか昔からあった番組の「笑点」という大喜利の番組も見ている。そのテーマに合わせて、面白い答えや納得する答えを言ったら座布団をもらってそれをどんどんためていくという番組だ。しかし、ふざけた答えや納得いかなかった答えを言った人は座布団を取られたりすることもある。それもユーモアがあって面白い。「笑点」を見ていると、一つのお題に対していろいろな答えが出てくる。たまには、難しすぎて出てこない人もいる。同じお題でも、考える人によって答えや考え方。が全く違うので、人によってユーモアの表現の仕方も違うのだと思った。それぞれの人が違う考え方をするからこそ、いろいろな面白い答えが生まれるのだと思う。

 僕は、母にもユーモアの体験を聞いてみた。すると、小学生のころ正直すぎる人がいたらしく、冗談を言ってもまじめすぎて通じない人がいたらしい。なんでもまじめに考え、笑うこともほとんどなかったという。僕は、それについて少し考えてみた。もちろん、正直なのはいいことなのだが、笑ってくれないのは恥ずかしいし少し寂しい。自分が冗談を言っても笑ってくれなかったら少しつらいと思う。僕もその経験が一回ある。友達に冗談を言ったら怒られたことがある。僕は、別に悪いことはしていないし、そんなに怒る必要もないのにと思ったことがある。しかし、ユーモアは自分が面白いと思うことを言えばいいというものではないと思う。相手がどう感じるかを考えることも大切だ。自分にとっては冗談でも、相手にとっては嫌なことかもしれない。だからこそ、相手を傷つけないようにすることもユーモアの一つだと思う。

 このように、自分が思う人間にとってのユーモアとは、心が温かくなるものだと思う。先ほど言ったようにそうでない人もいる。しかし僕はそう思う。つらい時や悲しいときに、面白いことを聞かされたら心が温かくなるし、うれしくなる。これからもユーモアを大切にして生活していきたい。