平等な自然
中1 ゆき(aonari)
2026年8月4日
作曲という仕事は、どうしても音を弄り過ぎて、その音が本来どこから来たかというような痕跡までも消し去ってしまう。例えば、ひとつの和音は、物理的波長の複雑な集束として、音響学的には、殆ど不変のものとして存在し、また規定し得るだろう。ではなぜ、音は、恰も生きたもののようにその表情を変えるのだろう?答えは、至極単純に違いない。即ち、音は、間違いなく、生き物なのだ。私たちは、自然から多くを学ぶべきだ。その理由は二つある。
第一の理由は、人の手で作った物は、まだまだ自然の物には到底及ばないからである。人工の物と自然の物の対比を一つ挙げるなら、エアコンの風と自然にふく風である。エアコンの風は、快適な風 だが、私は自然にふいた風のほうが快適だと感じる。エアコンの風はもちろん気持ちいいのだが、自然にふいた風は、気持ちいいというよりかは、心地いいという方が正しいように思う。自然の風は、当たっているだけで安心できるという不思議な力を持っている。それだけではなく、人工の物に囲まれて生活していると、だんだんと疲れてきてしまう。そこに少しでも自然があると、リラックスできる。町中に植え込みなどがあるのはそのためである。実際に、私の勉強机に小さな観葉植物を置いたことがあるが、心なしかとても集中出来ていた気がする。残念ながらすぐ枯れてしまったが、今ではカーテンを開けて、庭を眺めながら集中して勉強するようになった。つまり、人間がどれだけ進歩しても、人間にとって自然は必要不可欠なものだということである。
第二の理由は、自然は全てに平等で、どんなにすごい人も、自然の中では一人の人間だからである。私が山に登った時、途中でけがをしそうになったが、頂上に登って街を見下ろすと、とても小さく見えて、それを見下ろす自分はもっとちっぽけに見えた。ちょうど夕方なので、夕日があたりを照らしていた。夕日で染まったビルや家を見ていると周りの人や自分自身も同じ色に染まっていることに気がづいた。そこで初めて、自然は全てに平等なんだなと実感した。絶対に不平等が起こってしまうこの世の中であるからこそ、全てに平等でいてくれる自然を綺麗だと思った。つまり、人間が何をしようが自然は何もしない。その代わり人間の敵でも味方でもないということである。
確かに、現代では科学技術などの進歩によってなんでもできてしまいそうである。だが、そう思っている人ほどけがをするのである。何があっても自然を下に見てはいけない。「自然は決して我々を欺かない。我々自身を欺くのは常に我々である。 」 という言葉があるように、自然は決して我々を欺いたりはしない。自然がそうしてくれたように、私たちもまた、自然に、人間に平等でありたいものだ。だから、私たちは自然から多くを学ぶべきだと思う。