二つの道
小6 たいせい(akahiro)
2026年8月4日
「どんなだじゃれなんだろうか、これ」
思わずつっこみたくなる長文のだじゃれ。ぼくが2、3年生のころにはよく長文の最後にだじゃれがかかれており、それに対して思わずつっこんでしまうくらい面白く、それを暗記してみんなと笑いあったりもした。そんな時ふと気が付いたが、だじゃれを聞くとなんだか心が温かくなるような気がした。それにだじゃれを聞くとユーモアがあふれてまるでだじゃれまでもが喜んでいるかのように。そこで僕のクラスのみんなにだじゃれとはどんなものかと質問した。すると、明るくなる物だ、楽しい物だ、といろんな答えてくれた。その中でも一番多かったのは、面白いという案だ。確かにだじゃれはユーモアがあふれていて
とても感情を振り返ることができるものだ。だが、別の見方もできるのではないだろうか。例えば、面白いは面白いけれど、真剣な気持ちに思って出すことだ。これは、別の意味でも表現できる。それほどだじゃれというものは、人間の暮らしにとっても重要な物になるかもしれない大変すばらしいものなのだ。
もしぼくが、だじゃれや漫才をする芸人ならあんなにもたくさん覚えられないだろう。毎日違うだじゃれを作るなど普通はあり得ないはずだ。布団がふっとんだ、カレーはかれぇ、パンがパンパンだ、たまがたまる、石をいじる、もぅ考えられない。このようにだじゃれを考えるというのは、真剣にしておかないと売れなくないやがては辞めなければいけない。だから別の仕事を将来しているとしても、仕事のことは最後まで諦めずにやりぬいて遊びなどのことは最後のお楽しみとしておくことが一番効率の良い方法だとぼくはそう感じている。
人間にとってユーモアというものは、人の心を和ますことが出来る力を持っている。だが、言い方によっては相手の感情が別の方向にいってしまうのかもしれない。そのために相手がうれしそうな表情を出すならそのまま続けていい顔をしなかったらべつのことにする、という風に相手の立場によって、ユーモアを変えていかなければいけない。