ユーモアの大切さ
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イギリス人は「ユーモアのセンス」というものには特別のプライドを持っている。しかし、日本では真面目にやるのが普通である。ユーモアを受け取るためには、知識よりもユーモアのセンスが必要である。
私はこの文章を読んで、国によってユーモアのセンスがあるかないかなど独特な文化があることに驚き、視野が広がった。真面目にやるのが普通だという日本の文化にも、確かに一理あると思った。
私の身の回りのユーモアは意外と身近に隠れていることに気づいた。例えば、担任の先生。とにかく行動が面白いのである。特にコケたフリがとても上手い。まるでお笑い芸人のようである。そして、新体操の先生である。ロシア人の先生で日本語はスラスラである。その先生は、たとえ話と顔が面白い。そしてその2つを同時にやってしまうと、怒られているのにみんな笑ったりふきだしたりしてしまい、一瞬で場が和む。あとは妹。妹は発想がとても面白い。家族が誰も考えないことを言い出すからだ。あと、時々ダジャレを言う。例えば「虫は無視」や「ふとんがふっとんだ」など簡単なダジャレだが家庭が明るくなる。そう考え客観的に見ると、今までユーモアのことに気づいていなかったことが分かる。私はユーモアがある人は身の回りにあまりいないと思っていた。しかし、このように考えるとたくさんあると考えることができた。その中で5年生の時、同じクラスだった友達を思い出した。それは「Eくん」である。私からのイメージだと、元気で強そうな感じだ。大休憩中は毎日外に出て友達と遊び、授業中も大きな声で先生に質問したりしてクラスの人気者だ。そんな「Eくん」は授業中に授業と関係ない話をしたり、先生が言ったことにいちいち反応する。授業と関係ない話では、ふざけて面白い話をしたり隣の男子とコソコソ喋ったりしよく先生に見つかり怒られる。最初は先生もゆるく
「はいもうやめて〜」
といったり、
「分かった」
と怒ってはいない様子で反応したり話に乗ったりしていたが、2学期3学期になると先生も相手をするのが面倒くさくなったのか何も言わなくなり無視するようになった。それでも「Eくん」はやめないのである。しかし、そろそろ先生が本当に怒るのではと思うと、その瞬間先生が本気で怒り出す。しかし、それでも1週間経てばもとに戻っていてみんなから、
「先生の言うこと聞いてた?」
と聞かれるのである。さらに「Eくん」の話の内容はとても面白いのでクラスのみんなが爆笑するのである。私たちのクラスでは日常茶飯時だ。もちろん先生も爆笑する。それは毎日大体3〜4回。私は「Eくん」がいることで毎日笑えるから学校の楽しみが増えたのである。また「Eくん」にユーモアのセンスをちょっと分けてほしいと感じた。
もし身の回りにユーモアがなかったらと考えてみた。私は、今まで
「ユーモアとか無くても大丈夫でしょ」
と思っていた。しかし、よく考えてみると楽しくないことがよく分かった。例えば先生だったら、授業を楽しく受けられない。また、学校の楽しみが減る。それに印象がすぐに怒りそうで怖い。普段ふざけている男子たちにはすぐに嫌われるであろう。そして友達だったら、会話が弾まず「ロボットみたいで嫌だな」「つまらないな」と感じるのである。また上手く話せないから距離を感じて友達と思えないのではないか。そんな人と会った時には「嫌われているのかな」「友達じゃないのかな」「会話がないな」と否定されているのかなと不安になったり、自分もユーモアを出してはいけないのかなと思い、人間関係が崩れてしまうのではないか。さらに否定されるのだから本音を出せなくなるのではないだろうか。こう考えると、今まで気にしていなかったユーモアの大切さがよく分かった。
ユーモアは人間にとって相手と心地よく繋がるための「魔法」であり、私達の生活を彩ってくれるかけがえの無いものだ。ユーモアがないと生活が息苦しくなり、人間関係が崩れるかもしれない。だからこそユーモアを意識し大切にし、会話の中に取り入れて周りの人を笑顔にさせられる人間になりたい。