知識と経験(清書)

   中3 あおらえ(aorae)  2026年8月4日

  生き物のように焔をあげ、やがて燃え尽きて灰になっていくかつての火の姿には、霊的な生命を予感させる存在感があり、人々の心に、火の思い出にまつわる様々な感情を呼び起こした。現代になって焔の周りに拡がっていた闇のしじまは消え失せて、いたるところに人工照明の空間が出現してしまった。火は油断をすればたちまち消えてしまうか、自分たちを焼き滅ぼしてしまいかねない恐るべき存在であったが、いつでも好きな時、好きな場所で、使えるようになった。かつての原初の火は、個人レベルで対処できたが、社会化された現代の火は柔順であると同時にいつどこで暴走するかしれないものと化してしまった。私は便利なものに甘えずに、生きるための知識を習得する生き方をしたい。

 便利だからといってそれを使わずに、実際に自分で物事を行ってみることは効果的である。私の家族はよくキャンプに行くが、キャンプでの生活は日常に比べると断然不自由である。そもそもキャンプとはその不自由さを求めに行くもので、そこで得られる知識や経験というものもある。例えば、焚火をするには火を熾す必要があるが、火はガスコンロのように数秒で着火するものではなく、ある程度の時間が必要だ。実際に火を起こそうとすると、なかなかうまくいかないが、ようやく起こせた炎はいつまで見ていても飽きないと同時に、おこす過程で薪の組み方や炭の使い方など、実際に試行錯誤を重ねないと分からないこともある。だから、実際にやることによって情報の見聞きだけでは得られない知恵を身に着けられる。

 それに加えて、机上だけでなく実践するような教育を施すことも大切だ。どのような年齢層に対しても、机上で教えられることには限度があり、ペーパーテストも同様だ。これらは予め決められた型を生徒に教えているため、いざとなれば直接役に立つということは少ない。北風と太陽という童話がある。旅人の服をどちらが脱がせられるかという対決を北風と太陽がし、北風は寒風を吹き付けるが、旅人に対して逆効果となる。太陽がその光を当てたところ、旅人は套衣を脱いだという話だ。実際に考え付いた行為をやってみなければ、何が起こるか分からない。それをやることによって、自分自身で独自の知恵を身に着けることが可能となるのだ。そのため、学校教育においても、実践的な学びの機会を増やすことが重要だ。

 一方で、便利なものを使ったほうが効果的かつ効率的である。例えば地図を開いて目的地を探し、道を考えるよりも、地図アプリに目的地を入力し、結果を見るほうが遥かに簡単で早い。また、火を扱う際に毎回火起こしから始めれば、その他に費やしていた時間が減ることとなり、生産能力が下がってしまう。だが、トーマス・フラーは「知識は宝である。しかし、実践はその宝を開く鍵である。」と述べている。便利な道具を用いていくら結果を得たとしても、それから何かを得られなければ役に立たず、宝の持ち腐れとなってしまう。したがって、便利な道具に頼り切ってその場を切り抜けるのではなく、後に役に立つような知識や知恵を得ながら、実践することによって困難を切り抜けるべきでる。だからこそ、便利とされる物に甘えることなく、考え、行動し、経験を積むことが肝要である。