いきもののように

   高1 まさゆき(akiroma)  2026年8月4日

 もともとは火という驚くべき体験によって人類の歴史は、変わっていった。寒さにこごえ、飢えと動物からの襲撃にさらされて、四六時中休まることのなかった人類が、はじめて火を使って暖を取った感動は、想像以上のものだっただろう。しかし、火事や森林破壊などと同じく、一歩使用する用途や緊張のゆるみが出た時に、大きな災害へとつながる恐ろしいものでもあり、自分たちをより圧迫するものでもあった。しかし、それに代わって、家庭の中には、電気釜や電子レンジが現れ、石油ストーブやセントラルヒーティングが普及し、炎は消えて人工照明の空間が出現してしまったのである。しかし、一週間前に起きた熊本の地震では、断水や、停電などが発生している。そんなときのためにこそ、便利なものが使えないときに他の活路を生み出せるような人間としていきたい。

 一つ目の方法は、敢えて寄り道をしてまでもいろんな方法を体験することだ。想定外の時の回避策を見つけたりすることだ。例えば、電車の人身事故で一部の電車が使えないときに、どのようにして迂回して家に帰るのか、どの手段を使うのかなどをあらかじめ確認して、何度か使ってみるというのが大切である。極限の状態だと起きてからでは遅いのであるため、あらかじめ準備しておいて、起きた時に臨機応変に対応できるかということが大事である。

 二つ目の方法は、便利さのないサバイバルのような機会を学校として取り入れることだ。電気がないときに、どのように明かりをつけるか、水道が止まっているときに、どのように水を得るのかを、最初から便利なものを排除して生活するプログラムを作ることによって、たくさんの人が道具の使い方や、もともとの原理、何がうまくいっていないから使えないのかなどが分かる。実際に自分も遊びではありながらも、キャンプのテントを建てたり、寝袋使ったり、魚を手で捕まえたりしたこともある。その時の体験があるからこそ、ある程度何をどうすればいいかというのが細かく分かってくる。

 確かに、便利なものを知っていて、扱える以上わざわざ遠回りする必要ない。しかし、おおもとを知らないと、厳しい環境時の対応が出来なくなってしまい、他の人だよりになってしまう。物理学者のリチャード・ファインマンは、「自分で作れないものは、理解していない。」というように、どういう風にできているか理解しているからこそ、自分でできるようになり、実際動ける人材になるのである。私はそのような便利なものが使えないときの代案知り、それを扱えるような人間になりたい。