視覚系は
中2 すりりんご(akimano)
2026年9月1日
視覚系は、光を介して物の形を認知する。相手の位置や大きさ、広がりを「耳」で見ているはずである。形は物の方にあり、形は物の属性だという。無いものは見えない。見なくても触ってみればあるていど形が分かるのは、ものが本来、形を持つからだ。もう一つの見方に形は頭の中にある。その目は脳に連絡している。形を知るには、触覚刺激が脳に入り、それを使ってあらためて脳は形を構成する。目でも同じである。物が好んで形を使っているのではなく、われわれの頭が形と称するものを相手に押し付けている。形については、自分と相手とをともに考慮する必要があるから、話が面倒になる。目は有効な感触器であるが、あまりに有効すぎるため、有効でない点に気づかないことがある。大きさを知るという単純なことができないため、人の世界ではモノサシを売っている。モノサシがなぜ、便利かというと、視覚系だけにまかせておくと、大きさの絶対値がわからないからだ。これを幾何学に持ち込むと、比例が相似になる。相似とは、形は同じだが、絶対的な大きさはどうでもいい。われわれが「比例」とか「相似」を考えることができるのは本来、視覚系にそういう性質が存在するからだ。
確かに、相対的ということは、私たちにとって便利だ。学校の偏差値、テストの点数など、日々の生活で比較しているものがある。例えば、買い物に行ったとき、分類上、同じ商品でも、値段で購入するか、しないかを決める。そこから、値段が高いものは高級や上等といった、なかなか購入しないもの、値段が安いものは外国産などの輸入品、特になるというイメージが生まれる。実際、値段が安いものは商品の在庫が少なくなっている。多数の人が特になると思い、購入しているのだろう。こう考えると、物を購入する時にはどちらが安いかどうかで選ぶことが多い。相対的に見ることで、生活の内で何かが特に得られることがある。
しかし、人生には絶対的なものが必要なときもある。仲良しの友達やいつも一緒にいるグループではテストの点数、各教科の偏差値の競い合いをすることがある。各学期の初めには必ず自己紹介カードをつくる。その中に、将来の夢の欄があった。人と合わせることが多い日常の中にも、自分だけの譲れないものがある。私は、将来、医療系の仕事につきたいと思っている。友達は保育士、学校の先生などと多種多様な仕事名が書かれてあった。また、一人一人が考えるスローガン、目標も全て、一致している人はいない。確かに、自分の目標や夢があると明るく生きることができる。このように、絶対的なものがあることによって、自分の生きたい生き方、歩みたい生き方ができる。そして、周りが変わってしまった時、変わらずに生きることができる。
確かに相対的なものも、どちらも大切だ。しかし、できあがった規則をなんとか守ろうとすることよりも、実態に合わせて変えていくことが、真に規則を生かす道であるという名言があるように、絶対的なものも良いが、他人と協力し、判断しながら生きていくことが大切だ。私はよく、祖父から、友達は選びなさい、といわれる。私は、祖父から言われたように友達を選んできた。その友達は三歳からの友達だが今もあって遊ぶことがある。自分で判断することで、人も物も永遠に自分の生きる道につながるのではないだろうか。