ユーモアがつくる関係

   小6 ひなすみ(akohina)  2026年8月4日

 皆さんは、ユーモアについて考えたときに何を思い浮かべるだろうか。欧米人は「ユーモアのセンス」というものに特別のプライドを持っているそうだ。例えば、戦時下の生死を左右するような状況下でも思わずクスッと笑ってしまうような話がある。第二次世界大戦の時にイギリスの主要都市は、ドイツ空軍の激しい爆撃にさらされていたが、建物を大破されたあるデパートは、「平日通り営業。本日より入口を拡張しました。」という看板を出した。このように、逆境に陥ってもユーモアで対応している例もある。しかし、日本でも同じようにユーモアで対応をすると、「不真面目だ。」「空襲による被害のため、お客様にご迷惑をおかけします、と書くべきだ。」などと真面目な人は反応するのではないだろうか。だが私は、皆がピリピリしている時にちょっとした笑いが起こって、その場の雰囲気や気持ちが明るくなった方がいいと考える。

 私がユーモアの大切さを感じたエピソードの一つに副担任の先生のことがある。その先生は、給食の時間にお米が余っていると、「お米が残って米ってる(こめってる)ぞ。」などと、よくダジャレを言う。私たちは一年生の頃から何度も同じようなダジャレを聞いているため、正直、聞き飽きている。しかし、先生が滑っているのがかえって面白く、クラスでは笑いが起こる。そして、その笑いをきっかけに、普段あまり話さない人同士でも会話が始まることがある。このことから私は、ユーモアは単に人を笑わせるためのものではなく、人と人との間の距離を笑いで縮め、会話を生み出すきっかけにもなるのだと感じた。「和を以て貴しとなす」という言葉がある。これは、人々が互いに仲良くし、争いを避けて調和を保つことが最も大切であるという意味だ。ユーモアは人と人との間に和を生み出す一つの方法なのではないだろうか。

 一方で、ユーモアが人間関係に大きく関わることを感じた、反対の経験もある。幼稚園の頃、私の友達がふざけて園長先生のお尻をたたいたことがあった。園長先生はとても怒り、友達は泣いた。そのとき私は、子供のいたずらに対しても大人と同じように厳しく接する園長先生を怖いと感じた。もちろん、人に嫌な思いをさせたり、危険なことをしたりする冗談は許されるものではない。しかし、悪意のない小さな冗談まで全く受け入れられないと、人は相手に近づきにくくなってしまうのではないだろうか。この経験から、ユーモアとは、ただ面白いことを言うだけでなく、冗談を受け止める心の余裕も含んでいるのだと思った。

 これらの経験から、私はユーモアとは、人間関係を築いたり、深めたりするために必要なものだと考える。ユーモアがあれば、緊張している場面でも人の気持ちを明るくしたり、会話のきっかけをつくったりすることができる。また、相手の冗談を受け止めることも、互いの距離を縮めることにつながるだろう。しかし、どんな冗談でも許されるわけではない。相手を傷つけたり、不快な思いをさせたりしないように、相手の気持ちを考えることが大切である。これから私は、真面目さだけでなく、時には笑いを受け入れ、相手と一緒に楽しむ心の余裕を持てるようになりたい。