私は二十年ほど前から(感)

   中1 あけさわ(akesawa)  2026年9月1日

  私は二十年ほど前から、人間は自らを飼育し、家畜化――自己家畜化していると述べ続けている。ヒトを生物の一種とみなした場合、個人レベルではなく、人間自身が作った社会システムに依存して暮らしている点からである。ヒトは社会システムに参加することによって、社会的に食物を供給されている。比喩として言えば、現代の青年や子供は、座敷イヌと類似している。自己家畜化が特殊な条件下で自己ペット化に至ったものと言えよう。

 私はある程度の家畜化は必要だと思う。無駄な時間がなくなるからだ。私は今年の夏休み、ダラダラと怠けていた時間が多かったように感じる。家にはいたがやる気が出ないと言い訳して宿題に取り組むのをどんどん先延ばしにしてしまった。そのせいで宿題が終わったのが夏休み最終日でかなりの時間を無駄にしてしまった。。心にゆとりがないと焦りが生まれるため、計画的に有意義な時を過ごさなくてはならない。現に期末試験の二週間前からのスケジュールを綿密に立てるという夏休みの宿題が出されていたが、その通りに勉強していると勉強の効率が格段に上がった。

 また第二の理由として周りの人に迷惑をかけずに済むからだ。私は学校まで距離があるため電車を利用している。学校に通学している時、たまに見かけるのが迷惑客だ。一時期、よく見かける客がいた。その人は日本人かも定かではないが目の前でひげを抜いたり、つめをかんだりしていて不愉快だった。いつのまにかいなくなっていて、どこにいったのだろうと気になってはいるが、安心した気持ちのほうが大きかった。

 確かに人間には自由も必要だ。自由がないと時間が経つにつれて追い込まれていってしまうからだ。私の母親は限界を考えない人だ。旅行では一日で自転車を二十キロ以上漕いで奈良市の観光名所を巡ったこともある。もちろん楽しかったけれど、もっと自由でもいいのにと思ってしまったが、お母さんが必死に考えてくれたので何も言うことはできなかった。

しかし、「人はその制服のとおりの人間になる」という名言があるように、自己家畜化するのが基盤となりそのうえで私たちは生活しているのだ。