私の長所と短所

   中1 あさりこ(asariko)  2026年9月1日

     「このざわめきは何だろう」私の心の中にもかすかなざわめきが横切った。それは私が中国に住み始めてから約二カ月がたったある日、突然起こった。数分後、目の前に広がる光景を見て私は全てを理解することになるのだった。コロナに感染した人がマンションの中で見つかり、マンションに住んでいた人全員が外に出ることができなくなっていた。私は絶望した。この瞬間から始まり、約2年にわたって続いたゼロコロナ政策が私に共産主義の知識を与えることになるとは思ってもみなかったことだった。

    共産主義では一人の指導者を中心に社会が回っている。そのため、一人の指導者が何かを始めると言えば皆がその方向に動き出す。このような仕組みにより、最新の技術をすぐに取り入れたりするなど、世界の変化の波に乗り、時代についてゆくことができるのは共産主義の良いところだ。しかし私が経験したゼロコロナ政策のような政策を指導者が決めると個人の自由が奪われてしまうという大きな欠点がある。

      このような社会の国に住んでいるからには私もゼロコロナ政策から逃れることはできなかった。はじめの頃は、友達と会うことができない悲しさ、外に出ることができないつらさなど無数の後ろ向きな気持ちが私の心を取り巻いていた。しかし時間が経つにつれ、共産主義はこの私という一人の小学生が、異国の地から来た小学生がいくら嘆いても変わってはくれないことを残酷にも教えてくれた。ならば嘆いても仕方がないではないのではないか、この環境を自分なりに一生懸命活用し、ピンチをチャンスに変えることが自分にとって最善なのではないか、そう思うようになっていた。そう思い立った次の日から私のこころは新たな気持ちを持つようになっていた。隣に住んでいたサウジアラビア人の友達と交流をさらに深め、自分で積極的に英語を学ぼうという姿勢を持つようになった。ABCもよく理解していなかったにもかかわらず、私の英語はみるみる上達した。まさにピンチをチャンスに変えることができたのだ。新しい学校で友達となってもあの時を思い出すことがある。あの時踏ん張り、英語を習得していなければ今の友達との生活はないだろうなと。この経験から苦しい状況の中でもピンチをチャンスに変えることができる力は私の長所なのだろうと思った。

      それから四年の月日が経ち、コロナはあけていた。私は六年生になり、学校の児童会長になっていた。期限を決め、他のメンバーと協力しながら活動を行わなければならなかった。しかし私は活動を期限までに終わらせることばかりを考え、間に合わなそうだなと思うとすぐに自分で背負い込んでしまっていた。項羽と劉邦という話がある。人を扱うことは苦手だが、自分自身の能力は高い項羽と自分の能力は高くないが人を魅了させ、仕事を割り振ることがそれぞれ得意な二人が王位をめぐって争いを繰り広げる話だ。私はこの話を読んでから本当の良きリーダーとは何なのだろう、自分は本当に良きリーダーになれているのだろうかと考えるようになった。自分でこなせることは私の長所でもあるのかもしれない。けれどリーダーという立場に立っている今、それがかえって短所になってしまっているのかもしれない、そう思った。

    長所と短所は表裏一体である。短所だと思い込むとそれが本当に短所になってしまうのかもしれない。けれど私の長所を活かし、自分の短所を後ろ向きにとらえるのではなく、どうしたら今後、リーダーという立場に立った時にそれを長所として生かせるかを考えつつ、自分の長所をもっともっと伸ばしてゆきたいと思う。